2011年3月31日木曜日

Business Trip/出張

昨日の朝早く、
相方ちゃん、出張行っちゃった。
ケニアの北部に位置する、ガリッサってとこ。とても気温が暑い地域になります。
ラクダがその辺で家畜とされている。
超水が無いので、川から、ポンプで水を引き上げているみたいです。それを、周りの住民にも開放してるらしい。
ブッシュの中での仕事。
従業員16名ほどで、特殊機材車と格闘しながら、頑張ってる。


彼が出張前日に、私、ワガママな態度でプチ喧嘩。
ちょっと、彼に対しての思いやりが無さ過ぎた、と反省。
もっと、優しくしてあげないと駄目だな。
基本、私、厳しい目で、物事見てしまうクセがあるので(仕事病だな)、相手の気持ちを考えなさ過ぎることがある。
仕事しながら、買い物、家事の毎日に疲れだすと、相方ちゃんに、ストレスを向けてしまう。
あ~~~、こんなんじゃ、あかんよね。

ケニアでのDrivingマナー

マナーは最低。
前後の車間距離無さすぎ、右折、左折の方向指示ランプ点灯なし、車線変更はいきなり、というか、横入りと行ったほうが合っている。
ブレーキランプが壊れていようが、ランプが壊れていようが、お構いなく、運転している。
窓から、手で合図すれば、横葉入りが許されると思っている。
余計な、紛らわしいクラクション鳴らしすぎ。
信号無視は当たり前。
前方車、サイドミラー見ずに、指示器ランプ点灯無く急に車線変更して、ぶつかりそうになること日常。
その度に、私、マジ切れ!!!!!
窓あけて、怒鳴る!

私、よく平気で車の運転してるな~~~と、たまに自分で変な感覚に陥ります。
超安全運転してたら、時間に遅れて、渋滞に巻き込まれる可能性ありだし、逆に、ぶつけられる。
ケニア的に、超アグレッシブな運転をしないと、回りの流れに乗れない、自分が交通渋滞を起こしてしまう。。。

想像しにくいかと思いますが、ここでの車の運転は怖いのです。

マタツという、乗り合いバスのマナーは運転する資格なしです。日本だったら、免停確定。
中には、ライセンスなしで運転している人もいるのでは?
警察官には、賄賂を張れば、見逃してもらえる世界ですから。

このマタツは、歩道をも、平気で交通渋滞を避けるために、運転していきます。
渋滞の中、救急車の後ろをついて行って、交通ルール無視。

私は、このマタツには、絶対、道を譲りません。指示器ランプでお知らせが無いマタツ、車には、道を譲らないという、自分の基準を作って、運転しています。

マタツの次にマナー無いのは、トラックと、国営、市営バス。
トラックの運ちゃんは、ミラーで確認してないまま走っている気がする。

あとは、警察官やね。

ケニで運転するから、気をつけましょうね!!!!


おまけ1
そうそう、ケニアの大統領の車は、交通渋滞がある場合、反対方向の道を逆走行が許される。しかも走行速度200K/hくらい。一瞬で立ち去っていく。これも、かなりの危険行為。
ちなみに、政府関連の車のナンバープレートはGから始まります。
しかし、一般車はKから始まる。
このGナンバーにクラクション鳴らすと、捕まることがあるんだって。。。。。。。
そんなこと言われても、危険だったら、鳴らさないと、わからないよね????伝えれないよね?????


おまけ2
運転免許証は、Ksh6000払えば、テストなしで購入可能。交通警察官に賄賂を払えば、ぎょうだの列で並んでようが、一番前に行き、手続きして、テストなしで免許証発行可能。もしくは、コネのあるケニア人代理人に手続きをしてきてもらう。
普通、通常は、交通ルールテスト、ロードテストをパスしてから、交通化警察署にて、朝から列に並び、待つこと数時間。。。。。という流れ。
この過程って、重労働なので外国人で、国際免許持っている人は、ある意味、時間をお金で買う、という考えでいてもいいのかも。便利と思うこともしばしば。
ちなみに、私は、会社の人事スタッフに通常の課程で免許を取ってきてもらいましたが、一切、テスト受けてません。おそらく、顔が利く人を使ったのか、賄賂使ってますよね。笑

TV show: BRIDLPLSTY

衛星TV,DSTVのプログラムで、Styleチャンネルがあるんだけど。
そのチャンネルでの、番組、BRIDLPLSTY。
結婚式を控えた女性たちが、コンペティションで、毎回、1番になった女性は、プラスティックサージェリー(整形手術)を受けれる。最下位の3名が選ばれ、その3名の中から、脱落者1名を全員で投票する。
最後まで、勝ち抜いた勝利者には、理想の結婚式を向かえることができる。
ドレス、ケーキ、ブーケ、指輪など全てが、自分の理想どおり。なおかつ、顔、体も整形で理想に近づく。

毎週、最近、これが見るのが楽しみ。
女性の汚い部分が見えてくる。笑

2011年3月30日水曜日

Movie: Malcolm X


本日は、マルコムX、DVD鑑賞しました。

ずいぶん前に1度観た記憶があるのですが、その頃は、深く考えて観てなかった。

でも、今回は、いろんな視点から観て、楽しかった。

前回は、まったくイスラムの事は無知だったので、理解するには難しかった。

今回は、1940年代のアメリカで、イスラムの教えを知り、人生が変わった、マルコムX。
その時代にアメリカでのイスラム活動や、行動、服装など、今の私の考えでは、黒人によって都合のいいように考えられたイスラムだったんだな~と。


マルコムXも、メッカ巡礼後、本当のイスラムに触れ、考えを改めなおしていましたが、本当の現時の場に身をおいて初めて見えてくることてあるよな~と。
私も、自分がイスラムにかかわるまで、間違った情報を持っていたんだ、と、気づいたことと、同じだな。
それまで、避けてた、イメージ悪かったイスラム。笑
でも、現実は違ったからね。


それでも、間違った方向に動いている過激派もいる、という事実。

人は、イスラムは命の危険性がある、というが、そう考えることも、少しは理解できる。
しかし、ほとんどの90%以上のモスリムは平和が大好きな人たちだと思う。

マルコムXってね、オバマ大統領に雰囲気が似てると思いません????





ちょっと、マルコムXの情報を載せます。

マルコムX (Malcolm X, 1925年5月19日 - 1965年2月21日) は、アメリカの黒人公民権運動活動家。

ネーション・オブ・イスラム (NOI) のスポークスマン、ムスリム・モスク・インク (Muslim Mosque, Inc.) およびアフリカ系アメリカ人統一機構 (Organization of Afro-American Unity) の創立者でもある。旧名はマルコム・アール・リトル (Malcolm Earl Little) 。非暴力的で融和的な指導者だったキング牧師らとは対照的に、アメリカで最も著名で攻撃的な黒人解放指導者として知られている。



1946年1月12日、20歳のときに強盗の罪で逮捕され、窃盗罪で懲役8~10年が宣告された。通常の窃盗罪は初犯では懲役2年となる事が多いが、白人女性のソフィアと継続的な性的関係を持っていたため、通常よりも長い懲役刑を宣告された。収監されたチャールズタウン州刑務所ではあらゆるものを罵り、特に神と聖書に対する悪罵から彼は「サタン」と呼ばれた。

1948年に家族がマルコムをイスラム教に改宗させた。彼は獄中でイライジャ・ムハンマド (en:Elijah Muhammad) の教徒と彼の行っていたブラック・ムスリム運動に出会い、その教えを勤勉に研究した。マルコムはイライジャと文通を行い、独学で知識を進歩させ、手紙を毎日書いた。異母姉のエラは、彼をより自由のきくノーフォークのマサチューセッツ州刑務所へ移送する支援をした。そこで彼は熱心な指導者となり、歴史上および哲学上にイライジャ・ムハンマドの教えと NOI の正当性を発見した。彼は刑務所内の毎週の討論会に参加し、知識を広げ、筆跡を改善するために刑務所の図書館の全辞書を筆写したりもした。その際、刑務所内で勉強するためとして割り当てられていた時間を越えて消灯後も独房内で月明かりや通路の照明だけを頼りに本を読み辞書を筆写していたため、収監前は 2.0 あった視力が 0.2 まで落ち、後に眼鏡を購入する事になった。出所後、一躍名を知られるようになったマルコムはテレビやラジオ、雑誌等マスコミのインタビューで、刑務所内で磨かれた卓抜すぎる言葉遣いや知性の高さが窺える仕草から一流の大学を卒業しているのだろう、と勝手に推測され、出身大学はどこかと訊ねられた時には刑務所内の図書館だ、と答えている。マルコムは自伝で、大学や大学院を卒業している黒人を「白人に従順になるように調教された事に気付かない哀れな家畜だ」と述べている。

マルコムは1952年8月7日に釈放され、スーツケースと眼鏡、時計を購入した。後に彼はこれらのものが、自分の人生の中で最も役に立ったアイテムだったと語った。

1952年9月、彼は NOI から "X" という姓を授かり、これ以降現在の本名「マルコムX」を名乗ることになる。アメリカ黒人の「姓」は本来の彼らの姓ではなく、奴隷所有者が勝手につけたものにすぎないとネーション・オブ・イスラム教団では考え、未知数を意味する「X」は、失われた本来の姓を象徴するものである。同名の人物が入信した場合、入信した順番に「X」の後ろに番号をつける事になっていた。○○X2、○○X3、といった具合である。

1957年、ネーション・オブ・イスラムの一人が警察官に暴行を受け逮捕された。教団はこれに抗議、マルコムを中心とした FOI (Fruit of Islam, 信者の総称) が留置所前で仲間を病院へ送るよう要求した。これが受け入れられ、NOI とマルコムは一躍名を知られることとなった。



1962年、イライジャが少女を強姦し子を産ませていたことが判明し、マルコムは NOI に失望する。彼はイライジャの行為に怒り、このことを告発。NOI における立場を危うくする事になる。1963年2月に教団は彼を暗殺しようとしたが失敗に終わる。

1964年3月26日、マルコムはキング牧師と最初で最後の対面をした。これはあらかじめ予定されていたものではなく、その日二人がたまたま公民権法に関する論議を聞くためにアメリカ合衆国議会議事堂を訪れていたために実現したものであり、会話も挨拶のみでわずか1分ほどで終わった[1]。

同年、マルコムはメッカに巡礼。そこで彼は現地のイスラム教徒から熱い歓迎を受ける。白人でありながら自分たち黒人を肌で判断しない彼らに感銘を受け、それまでの考えを捨てた(ただし人種概念をもとに大別した時、中東系はコーカソイドとされるが、ヨーロッパ系からは同じ白人としてみなされる場面は少ない)。正統派への転向者としてアメリカに帰国し、NOI を脱退し、アフリカ系アメリカ人統一機構 (Organization of Afro-American Unity) を組織するが、マルコムと NOI の緊張は増加した。教団内に侵入したFBIの潜入捜査官は、マルコムが教団によって暗殺の対象になったと報告した。メッカ巡礼後、マルコムはアメリカの黒人に向けてアフリカへ帰れ、と呼びかけた。

暗殺の対象となったマルコムは、護衛なしでは外を出歩かないようになった。ライフ誌は、M1カービン銃を持って窓から外を凝視するためにカーテンを開くマルコムXの有名な写真を掲載した。写真は、彼と家族が毎日受けていた死の脅迫から自己防衛するというマルコムの宣言から公表された。


教団はマルコムの暗殺指令をメンバーに下した。教団内の FBI 工作員は教団からマルコムの自動車に爆弾を仕掛けるように指示された。1965年2月14日に、ニューヨークの彼の自宅は教団メンバーによって爆弾で攻撃されたが、マルコムと彼の家族は無事だった。

一週間後の2月21日、マンハッタンのオードゥボン舞踊場でマルコムがスピーチを始めたとき、400 人の群衆の中で騒動が発生した。男が「俺のポケットから手を離せ!、ポケットにさわるな!」と叫んだ。マルコムのボディーガードが騒動に対処しようとしたとき、男は前に突進し、短い散弾銃をマルコムの胸に向けて発射した。さらに他の二人がステージに素早く近づき、マルコムに短銃を発砲した。マルコムは 15 発の銃弾を受け、コロンビア長老教会病院に運ばれたが死亡が確認された。

マルコムX はニューヨーク州ハーツデールのファーンクリフ墓地に埋葬された。また、NOI の信者、タルマージ・ヘイヤー(トーマス・ヘーガン)、ノーマン・3X・バトラー(ムハンマド・アブドゥル・アジズ)およびトマス・15X・ジョンソン(カリル・イスラム)の三人が殺人罪で逮捕され、全員が1966年3月に第一級殺人で有罪と判決された。

2010年4月27日、暗殺犯の一人ヘーガンが44年ぶりに仮釈放を認められた。仮釈放の申請はこれが 17 回目だった。ヘーガンは1966年暗殺の実行犯として 20 年から無期の禁固刑を言い渡されたが、1992年以降は仕事を続ける事を条件に週に 5 日間自宅に戻ることができ、2 日間だけ刑務所で過ごすプログラムが適用されていた。なおほかの二人は1980年代後半に仮釈放が認められている[2]。

ヘーガンは犯行動機について、マルコムX が意見の相違を理由に NOI と袂を分かった為と語った。

マルコムは生前、自分の命を狙っているのは教団だけでなく、FBI や CIA すらも協力しているのではないか、と漏らしていた。彼の死後もそのような噂は途絶えなかった。

1964年と1965年の間に、マルコムの死の直前まで行なわれたインタビューに基づき、アレックス・ヘイリーによって執筆された『マルコムX自伝』は1965年に出版され、タイム誌によって 20 世紀の 10 冊の最も重要なノンフィクションの中の1つに選ばれた。日本語訳は1968年に河出書房(現河出書房新社)より抄訳版が『マルカムX自伝』と題して刊行されたものの、約半分の内容であった。全訳版は1993年に映画『マルコムX』(監督:スパイク・リー、主演:デンゼル・ワシントン)公開に合わせて同出版社より現在の『マルコムX自伝』として刊行された。

ジレンマと戦う

Kenyaと云えば、Masai族。
というイメージを持った方は、結構多いかと思います。

このMasai村で行われている、悪徳Shoppingが、許せない、
と思ってしまうのは、私だけでしょうか?

簡単に申しますと、
$20~25で、MASAI村訪問を行われています。
そのMasai村訪問では、写真撮影、ビデオ撮影は自由です。また、プチウルルン的な体験ができます。異文化を感じれる。
それは、と~~~っても良い体験なんです。
私もオシシメします。


しかし、その見学が終わった後に、待ち構えているのが、
村の裏に設置された、Masai Market。
ここの商品の質は非常に悪い上に、通常金額の50倍~100倍の金額でボッタくられます。
”え~~~~~~~????”と思う金額です。
そして、しつこく、買わせようという、行為を。

その対応に疲れて、グチられる方が多いように感じます。

それでも、やさしい日本人は、チャリティーと思うしかなかった、と
まで、おっしゃられる。

Masai族は、いわば、外国人=お金持ち。
完全ビジネス化されてしまってますね。




そのあきれることは、ほとんど、お金がからんでます。
賄賂、騙し合いの世界です。


日々、お金の汚い、現地人に遭遇していると、時に人間不信にも。

Grapeseed Oil



最近、Olive Olkから、こちらのGrapeseed Oilを使い始めてみた。
Olive Oilの独特なにおいはない感じかな。
(それはそれで、良かったんだけどね。)

味も、さっぱりしている感じ。

でも、料理によっては、やっぱり、Olive Oilがおいしいと感じるな。

この次はOlive Oilに戻るな、きっと。


サラダオイルが最近好きではない。

でも、揚げ物をする時は、サラダオイルのほうがいいのだろうか?
それとも、Olive Oilを使ってもOKか?

悩む。

ICOJより、被災者支援についてのご報告

アッサラームアライクム ワ ワラフマトゥッラーヒ ワ バラカートゥフ。

東北関東大震災における被災者の方々への義捐金、支援物資のご協力ありがとうございます。
ジャザークムッラーフハイラー(皆様にアッラーからの善き報奨がございますように)。

第1団についてサイトより抜粋と、第2団の写真をお送りいたします。







イスラミック・サークル・オブ・ジャパンとイギリスに本部がある慈善団体 アル・ハイル・ファウンデーションの共同の東北被災地への食料や生活必需品の配布、炊き出しの支援が東北各地の避難所で行われています。
第1団として3月19日深夜に出発したICOJボランティア有志のグループは4トントラック1台とハイエース1台で石巻市の2箇所の避難所とされている学校で約1000名の方々への朝食の炊き出しを行いました。避難所に2日間滞在し、メンバーは昼食と夕食の炊き出しも行いました。
両日とも、暖かい食事を、朝食は約1000名の方々へ、昼食と夕食は約600名の方々へ配る事ができました。
支援物資としてはお米、麺類、ミネラルウォーター、コーヒー、ストーブ、ろうそく、カイロ、肌着類、紙おむつ、お子さんのためのおもちゃなど、いろいろな物も配布しました。今日までにすでに3回、物資支援、炊き出しにボランティアが東北各地の被災地を訪れております。第4便も数日中の出発に向け、準備中です。
現地を実際に訪れたメンバーによると、政府の支援もまだまだ行き届いていないのが現状だそうです。
ICOJとしても支援を継続していきたいと考えております。引き続き、みなさまからも支援物資、義援金も募集しております。


Saturday, 26 March 2011
Islamic Circle of Japan is actively engaged in relief work distributing food and other essential goods to evacuees in various evacuation centers. In combined effort with Al-Khair Foundation UK,first Relief team headed by Ameer e Circle, Br.Amanat Ali stayed in the evacuation center in Ishinomaki city & distributed breakfast to around 1000 evacuees camping in two local schools. The relief team stayed in the camp itself and served lunch & dinner which was prepared by volunteers of ICOJ in the evacuation centre itself in order to serve hot meal to the evacuees. Lunch & dinner was served in the camp to around 600 people for 2 days while as breakfast was served among 1000 persons.In addition essential items including rice, noodles,mineral water,coffee,stoves,candles,disposable crockery,toys,undergarment etc were distributed among needy in the camps. The relief work is going on & teams are visiting various camps in different evacuation centers .




ICOJイスラミック・サークル・オブ・ジャパン

本部事務局
Tel:03-3871-6061Fax:03-3871-6062

ジャミール アハマド
TEL:090-3574-9812

2011年3月29日火曜日

【地震】トルコ30日間で5万円などの超格安旅行プラン……HISの被災者支援

MIXIニュースから。

これは、びっくり!!!!!



HISは東北地方太平洋沖地震の被災者支援プランとして、格安海外航空券の販売を開始した。東北6県(青森、秋田、山形、岩手、宮城、福島)および茨城県在住の被災者を対象にしたもの。

 同社によれば、今回の支援プランは震災により自宅に留まることができない被災者が、一定期間海外で落ち着いて過ごせることを目的に提供するという。現地のホテルや航空会社の協力を得て実現した。ソウル、台北、バンコク、上海、香港、ホーチミン、バリ島、カッパドキア&イスタンブールの7ヵ国8都市が対象となる。ツアー中は同社の現地支店の日本人スタッフによる24時間サポートを受けることができる。

 ツアーの例としては、トルコのカッパドキア&イスタンブール30日間で50,000円(食事あり)、ソウル25日間で35,000円(食事なし)、上海15日間で50,000円などがある。旅行代金には燃料サーチャージは含まれている。成田・羽田空港施設使用料や海外空港諸税は含まれない。申込期間は31日までとなる。




以下はHISブログ http://ameblo.jp/his-official/

東日本大震災にて被災された皆様のために、
被災者支援プランを発表いたしました。



H.I.S.として少しでも被災された皆様のお役に立てれば
という思いで、H.I.S.から呼びかけましたところ、
航空会社様、ホテル様にご賛同・ご協力いただき、
商品化する運びとなりました。



お一人でも多くの方にご利用頂ければ幸甚です。




<お申込頂けるお客様>
...東北6県および茨城県在住の被災者の方



<設定プラン一例>
・ソウル25日間 35,000円
・台北30日間 40,000円
・バンコク30日間 60,000円
・上海15日間 50,000円
・バリ島30日間 60,000円
・トルコ30日間 50,000円

2011年3月28日月曜日

だんだん、日本での食事が恋しくなってきた。

あ~~~~、毎日限られた食材で作る食事に飽きてきた。
外食しても、満足させてくれるとこりは、もはや、無く。。。。。

日本での、グルメ天国が恋しい。

あ~~~~~、おいしい食事をとりたい。

ケニアでの、日本食レストランもどこもたいしたことないし。。。。。



最近、日本からケニアに遊びに来た友人にお願いして、日本のマヨとお好み約ソース、鰹節を手に入れたので、家で、お子にも焼き、サラダなどを楽しめるようになりました。
日本のマヨネーズは最高やね。
お好みソースも。

ありがとう、お友達。





日本で、グルメと買い物を楽しみたい!!!

Olive Shampoo




これ、エジプトかどっかの国からの輸入の商品なんですが、以外に使ってみたら、良かったんですよ。
でも、限られたローカルのお店にしか打ってなくて、雛切れしたら、数ヶ月入荷されないんですね。

そのお店にオーダーかけて、数ヶ月待つこと、やっと入荷下と思ったら、
なんと、金額がKsh190からKsh260と超値上げされてた。
しかも、ShampooとConditioningを頼んだのに、Shampooと3in1しかなく。。。。。
3in1を購入。

この値上げに対してクレームを言うと、輸入行者にオーダー書けたら、先方が、この商品は人気があると思われて、値段つりあげられたんだよ。。。。などと言う。


値段上げすぎやろ!せめてKsh20とかにして欲しい。
足元見すぎ。。。。

それでも、買ったけど

次回から、ど~しよかな。。。。。

VAIOの状態

1、電源を入れると、VAIOのロゴが出る。

2.その後、以下の画面にかわる。写真で確認。







3.推薦を選び、エンターボタン。


4.以下の画面になる。写真にて確認。




5、ファイルの取り込みのあとは、この青い画面。その後は何も変化なし。。。。





WINDOWSの画面はでない。。。。

2011年3月26日土曜日

ナイロビ大学生の暴動

大使館からの連絡




在留邦人の皆様へ


明日,26日(土)10AM~1PMまで,
アスカリにより暴行を受け,病院にて死亡した,
ナイロビ大学生の葬儀が,ナイロビナショナルパーク向かいの墓地で行われます。

これに伴い Langata Rord(墓地近く),Uhuru HighWay(ナイロビ大学キャンパス近く) では,
ナイロビ大学生の暴動が予想されます。

また,23日(水)に大学生の暴動で道路封鎖された,
Chiromo Road, Wayaki way(大学生が殺されたバー付近:ウエストランドランダバウト近く)も注意が必要です。


国立大学において,様々な理由(政治問題,仲間の仕返し)などで暴動を起こすことがあります。
1ヶ月前にも,ナクマットジャンクションの前の道が大学生の暴動のため封鎖になったことがあります。

2011年3月25日金曜日

Movie: Desert Flower

今、気になる、見たい映画。NO1.




ストーリー
アフリカの貧しい家庭で育ったワリスは、13歳の時に親元を離れひとりロンドンへ。刺激的な大都会に圧倒され、孤独な路上生活を送る彼女の人生は、一流のファッションカメラマンにスカウトされたことにより劇的に変わる。やがてトップモデルとなった彼女は……。





母国ソマリアから逃れ、世界的なモデルとなったワリス・ディリーの自伝『砂漠の女ディリー』を映画化。現在はFGM(女性器切除)廃止運動に力を注ぐ彼女は、部族の風習に従って5歳でFGMを受け、13歳で家出。路上生活を送る中、スカウトされ華麗に転身した衝撃の半生を描く。エチオピア出身のスーパーモデル、リヤ・ケベデの初主演作。

停電多すぎ

なんか、今日は、てんでんと思ったら、復旧。
復旧したと思ったら、また停電。


この繰り返しなんですが???????

その都度、コンピューターが落ちるんですが。。。。。。。

まともに、メールすら書けない。。。。。。

雨が続くと、このように、停電おきやすいよね。

雨がなくても、断水とともに停電。



このイライラがなくなる生活を送るには、お金をかけるしかない、このケニアの国の仕組み。

エネルギーは、国民へ平等に流れるわけではなく、お金をかけた人しか、確保できないのか?


しかし、真剣に個人ジェネレーター必要かも。
日本のように普通の生活を送るには、日本でで生活送る以上に、お金かかるかも、実は、ケニアって。

最近、家賃の値上がり、物価、食べ物の値上がり、オイルの値上がり。。。。。。。
ん~~~~~、結構大変。

新しいVAIOコンピューター潰れる。。。。

半年前に、日本から新調して購入したPCが、起動しなくなったよ。。。。

ありえない。
停電での関係で電圧の変化で、痛んだのか?

る夕は不明。
電源押したら、動くけど、なんか、その先から、一向になのもかわらな~~~~い。

ナイロビ在住で、PC詳しい日本人の方がいらしたら、お声をかけてくれませんか?

日本人エンジニアの目線でチェックしてもらえたら、ありがたい。
ケニア人のOCエンジニアへの、信頼度が、薄いので。


あ~~~~~、かなりショック。

強盗事件

最近、強盗事件が多い気がする。

TVでも、がっつりと、、監視カメラに写った、強盗手口の紹介など、取り上げられてる。
手口は大体3人組で、拳銃と突きつけて。って感じですね。

顔もしっかりと、カメラに収められていますが、それでも、警察は、犯人を捜せず。。。。
なんでやねん!!!!
ってつ込んでます、TVに向かって。

この国、本当に、大丈夫か???と疑ってしまいます。

自分の身は自分で守らないといけないと、感じます。

自分の住んでいるアパート内でも、以前は8件、立て続けに、空き巣強盗、住んでない住民以外の車の駐車で、住民の修社スペーシがなくなったり、駐車場で、売春行為など起きてましたから。
これも、警備員が絡んでいるんだろうと、簡単に考えられます。
その警備員がいなくなったとたん、問題なくなりましたから。


住む地域、セキュリティーは、本当に大事だと感じます。

深夜武装した強盗

在留邦人の皆様へ

在留邦人の方が運営するNGO団体の施設において、深夜武装した強盗犯グループが
不法侵入し、施設の職員及び就寝中の子供を鋭利な刃物で切りつけた上,現金、テレ
ビ及びパソコン等を強奪して逃走する強盗致傷事件が発生しましたのでお知らせします。

1.事件概要
3月23日(水)深夜午前1時頃、ナイロビ郊外の地方都市にあるNGO団体施設
に12名の強盗犯グループが塀を乗り越え侵入し、アスカリ(警備員)や施設の職員、
また施設の子供数名をパンガ(ナタに似た鋭利な刃物)で切り付けた後,室内に置い
てあったテレビ、パソコン、現金等を強奪し逃走しました。被害者からの通報を受け
た地元警察が犯人の捜索を行いましたが、現在のところ犯人の検挙には至っていません。

2.注意喚起
皆様ご承知のとおり、ナイロビ市内においては、カージャック強盗、住居に対する
強盗事件が依然発生していますが、今回の事件にように地方都市においても、家屋に
対する強盗事件が発生しています。各地方都市において、仕事または生活をされてい
る方々におかれましては、事務所または住居の防犯安全対策について、今一度点検を
していただき、ご家族を含め安全対策に万全を期すようお願いします。
またナイロビ市内で仕事または生活をしている方々においても同様に今一度、事務
所等の仕事先及び住居に関する防犯安全対策について、ご家族を含め点検をしていた
だき、各種安全対策を行って下さい。
なお、防犯安全対策に関し、ご相談またご質問等ございましたら、当館領事・警備班へ
ご遠慮なくご連絡下さい。
連絡先:大使館代表電話番号020-2898000

平成23年3月25日
在ケニア日本国大使館
領事・警備班

2011年3月22日火曜日

北海道、札幌から

北海道、札幌在住である友人からのメッセです。
信用できる会社ですので、ご安心ください。
社会貢献に力を入れていらっしゃいます。ケニアでも活躍を披露目用と頑張っていらっしゃいます。
今回の日本での地震、津波による被災者の方々への義捐金を募っておられます。
もし、筆界同在住の方で、協力できる方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いします。


よろしくお願いします。

詳細は、以下をご確認ください。



いつも大変お世話になっております。
S.R.S CORPORATIONの濱田です。

このような状況下でのご連絡で大変恐縮ではございます。
また、急なお願いで誠に申し訳ございませんが、
ご一読くださいますようお願い申し上げます。

三月十一日に東北地方太平洋沖地震が発生いたしました。
この震災により多くの方の尊い命が失われたことに、
深い哀悼の意をささげます。
同時に被災された皆様に対し、心よりお見舞いを申し上げます。

弊社グループ店舗共々、地震により甚大な被害を受けた地域・方々に対し、
災害復興支援を実施させていただきます。


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● 義援金の募金活動

各店舗に募金箱を設置し、お客様から義援金を募金させて頂きます。
募金活動によってお預かりした義援金は、
日本赤十字社、現地復興支援団体を通して被災地の皆さまに
お届けさせていただきます。


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● チャリティプラットフォームを使い、支援団を応援します。

Webからも皆様に応援して頂けますよう、
チャリティプラットフォームを使い、
「CIVIC FORCE」を応援いたします。
是非皆様にもご協力お願いいたします。


★被災地の復興を一日でも早く目指していこう!★
チャリティプラットフォーム「Just Giving」
→ http://justgiving.jp/c/5380

Google検索「hamkyo 寄付」で検索できます。


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被災者の方々に対しましては、謹んでお見舞いを申し上げますとともに、
被災地の一日も早い復旧を心より祈念いたします。

被災地の方々に対して「我々が今できること」を
一人でも多く一社でも多く、
支援の輪が広がっていくことを願っております。

お忙しい中、最後までお読みくださいまして、
誠にありがとうございます。

株式会社S.R.S CORPORATION
代表取締役 濱田 恭輔



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株式会社 S.R.S CORPORATION
〒064-0809
札幌市中央区南9条西9丁目1-32
S9条ビル2F
TEL.011-563-8600 FAX.011-563-8602
Hamada Kyousuke
kyosuke6@mac.com
http://www.s-r-s.jp/

在ケニア日本国大使館より

在留邦人の皆様へ

東北地方太平洋沖地震に関する義援金申し込み先銀行口座について、在ケニア日本国大使館のホームページに掲載いたしましたので、ご案内申し上げます。振込先の詳細情報など、詳しい内容はホームページをご覧下さい。

【概要】
(1)被災者への義援金として使用を希望する場合
  ア 送付先:日本赤十字社
  イ 口座:Sumitomo Mitsui Banking Corporation
(2)日本赤十字社の救援活動について使用を希望する場合
  ア 送付先:日本赤十字社
  イ 口座:Sumitomo Mitsui Banking Corporation
(3)在ケニア日本国大使館の義援金用口座
  ア 送付先:在ケニア日本国大使館(その後、口座から(1)項の銀行口座に振り込まれます。)
  イ 口座
  (ア)USドル口座:COMMERCIAL BANK OF AFRICA
(イ)ケニアシリング口座:COMMERCIAL BANK OF AFRICA
(4)注意事項
  各種手続き等のために領収書が必要な方は、(1)、(2)項にある日本赤十字社あてに直接送金いただき、払い込み書の備考の欄に領収書が必要である旨を明記して下さい。

平成23年3月21日
在ケニア日本国大使館

2011年3月20日日曜日

MR. KEN NOGUCHI Support for Earthquake&Tsunami

野口健さんのサポート、支援のプロセス。
http://blog.livedoor.jp/fuji8776/

やっぱり、彼の行動力、優しさに、心揺れました。
ヒーローですね。



内容は、以下。

東日本大震災から一週間。バタバタと大慌てであっという間に過ぎた。3月11日に発生した大地震時、私は羽田空港にいた。12日に青森県で講演会が予定されていたのだ。空港内もユラユラとまるで船に乗っているかのような横揺れが続き、次にガタガタと建物が激しい音をたてた。これはいつもの地震とは違うと建物から室外に避難。駐車してあったバスが揺れに揺れている姿に「これはヤバイ」と初めて身の危険を感じた。


それでもその時点ではこの直後に発生した大津波の大惨事など知る由もなく再び空港内に戻りゲートへ。青森県に先に入っていた講演会フタッフに青森の状況を聞こうと携帯電話と取り出したが携帯は繋がらない。2時間ほど待機していたらフライトの欠便がアナンスされた。何かが起きている。そしてふと窓から表に視線を移したらなんとも形容しがたい空の色。一見美しい夕日のようでありながらその上部には分厚いグレーの雲がまるで渦を巻いているかのような、なんとも不気味な世界にゾクッと背筋に寒気が走った。これは大変な事が起きていると、再び携帯電話を試みるも不通。

しかし、ツイッターだけは繋がった。青森入りしているスタッフのツイッターに「市内が停電」「講演会は中止」と書き込まれてあり、帰宅しようと歩きはじめたら空港内のテレビに人垣が。テレビ画面を見たら横一直線の巨大津波が民家や車などをまるでマッチ箱のように次から次へと流している。最初、映像が強烈過ぎて今一つ意味が分からず「なに?」という感じであり、私含めその衝撃的な映像に足を止めてテレビを見ている人たちもポカンとしていた。それは9・11のあの映像を始めて見た時にショックのあまりにしばし思考が停止したのと同じであった。


あれから一週間。最初の数日間はテレビ画面に釘付け。被災地の映像に言葉を失い、ただただ画面を眺め続けていた。気がつけばガクッと気持ちが落ちている。そして無気力化していく。これはいけない。被災者ではない我々が落ち込んでいる場合じゃない。これだけの震災である。国や行政だけでは限界がある。またこんな時こそ日本人が一丸となって復興に向けて取り組まなければ、この国の未来はない。自分に何が出来るのか。テレビを見ながら必死に考えていた。我々が元気を失ってしまったらどうして応援できるのか。「しっかりせい!」と叱咤していた。


そこで一つ思いついたのが「寝袋」である。被災地の夜は寒い。多くの避難所では一枚の毛布しか配られていないとのこと。燃料不足から暖房も限られまた停電により夜は真っ暗闇。寒く暗い永い夜。これがどれだけ辛いことなのか、登山家としての経験上から少しは感覚的に理解できる。故郷が壊滅的に破壊され家族を失い、または安否の確認が出来ないという異常事態が続き、精神的に限界が続く中、寒さと不眠が追い打ちをかける。「精神」と「肉体」が壊れてしまえば絶望感ばかりが残される。



そこで「寝袋」を被災地に届けようとなったのだ。布団の場合は敷布団なりが必要となる。重たいだけでなく運ぶのにかさ張る。それに比べ寝袋はマット一枚敷けばいい。マットがなければ段ボールでもいける。また軽くギューと押し込めば小さくなるので持ち運びも便利であり、一台の車でも相当数の寝袋が運べる。そして何よりも寝袋のジッパーを閉めれば寝袋の中の空気が密閉され体温が籠り暖かい。



色々なご意見があるかもしれないが、私に出来る事の一つとして寝袋を被災地に届ける事だと決めた。何しろ時間との戦いでありノンビリしていられない。私のツイッターには本当に多くの意見が全国から寄せられ、何には「低体温症で多くの被災者が避難所で凍死している。早く寝袋を届けてください!」といった悲痛な叫びも。それから事務所を上げて寝袋探しが始まった。付き合いのあるアウトドア・メーカーに片っ端から連絡をいれるものの、この状況下では止むを得ないのだが在庫がない。「すみません、在庫がありません」との返事ばかり。


しかし、コールマンジャパンさんに連絡を入れ「救援物資として被災地に出来るだけ多くの寝袋を届けたいので注文できますか」とすがる様な気持でお願いしたら「すぐに確認します!」と返事を頂き30分もしないうちに「100個なら用意出来ます」との事に事務所内が湧いた。


同時に「どのようにして寝袋を被災地に届けるのか」を探らなければならなかった。ネットで調べたものの義援金の受付はあるものの、救援物資を受け付けている行政機関が見つからなかった。どのようにして届けるのか。



この時も役に立ったのがツイッター。私が環境大使を務めている長野県小諸市が私のつぶやきを見て「小諸市は被災地の相馬市と友好関係を結んでいるので救援物資を届けようとしていますが、一緒に寝袋を運びますよ」との連絡が入る。また環境観光大使を務めている岡山県総社市の片岡市長からも「総社市も被災地に救援物資を運びます」とご連絡を頂いた。




3月15日にコールマンジャパンさんに連絡を入れ寝袋100個の注 文。

3月16日の夕方に救援物資をトラックに詰め込み東京から小諸市へ。

3月17日に小諸市から福島県相馬市へ寝袋が届けられた。

3月17日の深夜、小諸市の職員の方から私のツイッターに「無事に寝袋を届けました」との連絡を入った時には涙が出そうになったが、まだまだこれからだと感慨にふけっている場合じゃないと言い聞かせた。



3月18日にはコールマンジャパンさんからさらに「200個の寝袋と寝袋の中に入れるインナーも100枚を用意できる」との連絡を頂き、またアウトドア・メーカーのスノーピークさんの寝袋も100個注文できた。そして友人からも約30個の寝袋が。



相馬市に続き今度はこの330個の寝袋をやはり津波で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市へ届ける事になった。



陸前高田市では避難所が足りずキャンプ場で被災者の方々がテント生活しているとの情報が入る。この寒さの中、また天候が崩れ、雪が降る陸前高田市。



3月23日に小諸市からこれらの救援物資をトラックに積み込み陸路で運ぶ事になった。私も小諸市の職員の方と一緒に現場入りする。



そして嬉しかったのが3月18日の朝に中国香港に滞在している私の兄貴に「中国で寝袋を調達できないものか」と相談したところ、その日の夕方に「1000個の寝袋が用意できそうだ。知り合いの中国人たちが集めてくれている」との事。これには心底驚いたが、喜んでいる間もなくその1000個の寝袋をどうやって至急国内に持ち込むのか。ここで役立ったのがまたもやツイッター。ツイッターで「1000個の寝袋をどうやって日本に」と呟いたら、翌19日の早朝に「知り合いにANAの人がいるので紹介します」と連絡が入り、ただいま、全日空さんが調べてくださっています。



一週間後には中国からの寝袋も被災地に届ける事が出来れば・・・。




私にとってもこの一週間はとてつもなく目まぐるしかった。現地からの映像に落胆しながらも、しかし同時に多くの方々からツイッターを通して沢山の情報を頂き、またアウトドア・メーカーや小諸市の職員、香港にいる兄貴や中国の方、そしてANAの方々が一緒になって被災地に寝袋を届けようと動いてくださったのだ。人の繋がりの温かさにどれだけ救われた事か。



東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)による現段階の被害状況は死者6911人。安否不明は19370人。避難は403975人。戦後最大の被害となり失ったものは果てしなく大きい。「復興」と一言で言ってもその道のりは果てしなく遠いだろう。しかし、諦めてしまっては終わる。一歩一歩コツコツと前へ前へと進んでいくしかない。



私には私に出来る事がある。みんなにもみんなに出来る事がある。日本中の人々が、それぞれ何か1つを背負っていけば、時間はかかるかもしれないが必ず立ち直ると私は信じている。




2011年3月19日  野口健

感動STORY

MIXIより。


夫の荷物の中に指輪があった。ホワイトデーのプレゼントに、こっそり買ってくれていたらしい。



 その夫は今、遺体安置所で眠っている。東日本巨大地震で壊滅的被害を受けた宮城県気仙沼市。同市本吉町寺谷、主婦大原枝里子さん(33)は、夫の顔についた泥をぬぐい、優しくキスをした。



 11日午後。自宅で揺れに襲われ、津波から逃れるため、避難所を目指して車を出そうとした。その直前、運送会社で運転手をしている夫、良成(よしなり)さん(33)から携帯に電話が入った。「大丈夫か」「もうつながらないかもしれない」。泣き叫ぶ子供2人を両腕に抱え、思うように話せない。間もなく通話が切れた。これが最後の会話になった。



 海に向かう形になるが、頑丈な小学校の校舎を目指した。20分もたったろうか。逃げる車で渋滞し、少しも進まない。「もうぶつかっても仕方ない」。意を決して対向車線にバックで車を出し、アクセルを思い切り踏んだ。眼前に津波が迫り、2台前の車が濁流にのまれた。助手席と後部座席には長女、里桜(りお)ちゃん(2)と次女、里愛(りあ)ちゃん(5か月)。2人を守ろうと必死で約50メートル後進し、何とか助かった。



 海から離れた避難所に行くことにし、その日は車中でガソリン節約のため暖房なしで夜を明かした。翌日から避難所で苦しい生活が待っていた。子供の服におしっこやよだれが付いても、乾くのを待つしかない。地震で哺乳瓶は全て割れ、避難所にあった哺乳瓶を他の家庭と共有した。ストレスで母乳が出ない。スポーツ飲料をお湯で薄めて与えても、里愛ちゃんはなかなか受け付けず、脱水症状になりかけた。お尻ふきがなくなり、里愛ちゃんのお尻はかぶれて血が出始めた。



 夫の悲報を受けたのは17日。気仙沼周辺で配送作業中に津波にのまれたらしいと、夫の上司から知らされた。18日、子供が眠ったのを見計らい、遺体安置所に向かった。目の前のひつぎの中で眠っているのは、間違いなく良成さんだった。涙があふれ出た。キスをしながら、「愛してるよ」とつぶやいた。遺体に何か着せてやろうと、倒壊を免れた自宅に戻り、会社から引き取った夫の荷物にふと目がいった。指輪が入っていた。以前、「たまには指輪とか欲しいけど、パパはプレゼントくれる人じゃないもんね」と、意地悪を言ったのを思い出した。



 避難生活が長期化し、子育てはますます大変になっている。この状態がいつまで続くか分からない。でも、指輪を残してくれた夫に約束した。「この子たちは私が責任を持って育てるから」(佐脇俊之)

2011年3月17日木曜日

Finally started Raining in Nairobi!!!

やっと、ナイロビにRaining Season到来です。
今、17日、15時ですが、大雨です。

恵みの雨がようやく、空からやってきました。

これで、野菜も十分に育ってくれるのではないでしょうか?

最近、やたら、野菜、果物の値段が上がってたから、ナイロビでは。


しかし、 

恵みの雨ではありますが、雨が降ったら、交通大渋滞になります。

でも、自然の恵みは生きていくためには大事ですね。



一気に気温は下がり、涼しくなって、私の好きな季節。

ジャケット羽織るくらいの肌寒さが好き。


今から、重ね着?を楽しめれる。
去年、日本から持って帰ってきたジャケットたちの活躍できる季節♪


日本の秋、冬が恋しいよ。

KBS ケニア市内を走るバス




KBSのバスですが、最近、近代的になってきたように思います。

たまに、KBSの後ろを自分が車の運転をしていると気付く時があるんです。
案内電光掲示板がバスの前と後ろについているの!

バス路線の番号と、行き先と金額が掲示されています。

日本では、当たり前の光景なんですが、ここケニアでは、当たり前ではないので。

ケニアでは、バスを乗るまえに、路線番号を見て、乗車する前に乗車料金がいくらか聞てから乗る。
(なぜ、乗車料金を聞く必要があるのか?金額が毎日、時間によってかってに変わる。悪用できるってことです。)


写真、わかりにくいかもしれませんが、(見えにくい場合は拡大してくださいね。)ちゃんと、46 Town
20Kshと電光掲示板が出てます。


ケニアも、少しずつ、先進国に近づこうと頑張っているんですね、きっと。
庶民にとっては、ありがたく便利です。

~緊急・東日本大地震支援のために、ムスリムとしてすべきこと~




~緊急・東日本大地震支援のために、ムスリムとしてすべきこと~


1.被災者の方たちに義捐金や食料などで支援を送る。【アッラーの道のために自分の所有するものを施す者を例えてみれば、ちょうど1粒が7穂を付け、1穂に百粒を付けるのと同じである。アッラーは御心に適う者に、倍加してくださる。アッラーは厚施にして全知であられる。】クルアーン 雌牛章262節 アブー・フライラはアッラーの使徒(彼に平安と祝福がありますように)が次のように語ったとして伝えている 。《 復活の日にアッラーは次のように言うでしょう。
『アダムの息子(人間)よ、私は病気だったとき、あなたは私を見舞いませんでした。』
そこで彼は「主よ、どうやって私はあなたを見舞えましょうか?あなたはこの万物世界の主であらせられるというのに」と言いました。するとアッラーは次のように言います。
『あなたは私の僕である誰其が病気であったことを知りながら彼を見舞いませんでした。その時、もし彼を見舞っていれば彼の元で私を見出したということを知っていましたか?アダムの息子よ、私はあなたに食べ物を求めましたが、あなたはそれを与えませんでした。』
すると彼は「主よ、どうして私があなたに食糧を与えることが出来ましょうか?あなたはこの万物世界の主であらせられるというのに」と答えると、アッラーはこう言います。
『私の僕である誰其があなたに食べ物を求めたというのに、あなたは彼に(何も)与えませんでした。もし彼に食べ物を与えていればそれを私の元で見出したであろうということを知らなかったのですか?アダムの息子よ、私はあなたに飲み物を求めたのに、あなたはそれを与えませんでした。
すると彼は「主よ、どうして私があなたに飲み物を与えることが出来ましょうか?あなたはこの万物世界の主であらせられるというのに」と答える。そこでアッラーはこう言います。
私の僕である誰其がそなたに飲み物を求めました。しかしあなたはそれを与えませんでした。
もし彼に飲み物を与えていれば私の元にそれを見出したでしょうに。』 》ムスリムの出典
施しのマナー:
1)施した相手に対して高慢にならない。高慢に施すくらいなら、優しい言葉の方がより良い。【アッラーの道のために、自分の財産を施し、その後かれらの施した相手に負担侮辱の念を起こさせず、また損わない者、これらの者に対する報奨は、主の御許にある。かれらには、恐れもなく憂いもないであろう。親切な言葉と寛容とは、侮辱を伴う施しものに優る。アッラーは富有にして慈悲深くあられる。信仰する者よ、あなたがたは人びとに見せびらかすため、持物を施す者のように、負担侮辱を感じさせて、自分の施しを無益にしてはならない。】クルアーン 雌牛章262-264節
2) アッラーに与えるつもりで、良いものだけを与える。【信仰する者よ。あなたがたの働いて得たよいものと、われが、大地からあなたがたのために生産したものを惜しまず施せ。悪いものを図って、施してはならない。目をつむらずには、あなた(自身)さえ取れないようなものを。アッラーは満ち足りておられる方、讃美されるべき方であられることを知りなさい。】クルアーン雌牛章264節
3)人が自分の真似をして善い事をするようになるため以外には、施した事を人に言わない方がより良い。 【あなたがたは施しを、あらわにしても結構だが、人目を避けて貧者に与えれば更によい。それはあなたがたの罪悪(の汚)の一部を、払い清めるであろう。アッラーはあなたがたの行うことを熟知されておられる。】クルアーン 雌牛章271節【自分の財を、夜となく昼となく、人目を避けて、またあらわに施す者は、主の御許から報奨が下される。かれらには恐れもなく憂いもない。】クルアーン 雌牛章274節

2.被災者の方々のために、ドゥアー、サラートゥルハージャをする。 ドゥアー:生きている方たちのためには、まず導きを、その他良い事をたくさんドゥアーする。亡くなったノンムスリムの方たちのためには、私達は彼らの心の中に信仰があったかどうかわからないため、許しなどは請わず、慈悲あまねく慈愛深きアッラーに彼らをお任せしました、という意味のドゥアーをする。 サラート:サラートゥ・ル・ハージャ(必要を感じたときの礼拝)ティルミズィーの伝承によると、預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)は仰いました。≪誰でも、アッラーに、もしくは、アーダムの子孫(人間)の一人に必要性がある者は、ウドゥーをし、そのウドゥーを丁寧にし、2ラカーの礼拝をしなさい。それから、アッラーを讃え、預言者(彼に平安と祝福がありますように)に祝福を送り、その後、こう言います。
「 アッラー以外に、寛大で忍耐強い神はいません。
偉大なる玉座の主アッラーに讃えあれ。
万有の主アッラーに讃えあれ。
私は、あなたに、絶え間ないあなたの慈悲を、あなたのお許しとその原因となることを、
すべての敬虔さの獲得を、全ての罪からの安全をお願いします。
どうかあなたがお許しになられることなしには、私に罪を与えないでください、
あなたが解決されることなしには、私に(彼らに)心配事を与えないでください、
あなたが満たされることなしには、あなたのご満足がある必要を私に(彼らに)与えないでください、
おお、慈悲深いものの中でも最もご慈悲深いお方よ。 」≫

※ 「 」内のアラビア語の読み方:
「 ラーイラーハ イッラッラーフ ルハリーム ルカリーム
スブハーナッラーヒ ラッビ ルアルシ ルアズィーム
アルハムドゥリッラーヒ ラッビ ルアーラミーン
アスアルカ ムージバータ ラフマトィク ワ アザーイマ マグフィラティク
ワ ルガニーマタ ミン クッリ ビッル ワッ サラーマタ ミン クッリ イスム
ラー タダウ リー ザンバン イッラー ガファルタフ
(私達に と複数形にするときは、「リー」を「ラナー」に、彼らに、と三人称にするときは、「ラフム」に変換)
ワ ラー ハンマン イッラー ファッラジュタフ
ワ ラー ハージャタン ヒヤ ラカ リダン イッラー カダイタハー
ヤー アルハマッ ラーヒミーン 

他の伝承によるサラートゥ・ル・ハージャの礼拝の方法:イシャーの後に、4ラカー、もしくは2ラカーの礼拝をし、最初のラカーでは、ファーティハ章1回、アーヤトゥルクルシー3回を読み、それ以外の3ラカーでは、ファーティハ章、最後の3章(純正章、黎明章、人々章)を一回づつ読みます。
どちらの方法も、ハディースがあります。(参照:フィクフ・ル・イスラーム・ワ・アディッラトゥフ第1巻P56) 補足:この礼拝は、必要を感じたとき、いつ行っても構いません。アッラーのご同意がありますように。

3.アッラーに、イスティグファール(お赦しを請う為のズィクル:「アスタグフィルッラー」=私はアッラーにお赦しを請います、を唱える)を沢山する。 アッラーのことを知っている私達が、きちんと義務のことやスンナを行えていないために、私達の犯した罪の大きさのために、災害が起きているのかもしれません。一人ひとりがアッラーに返り、自分を見直し、アッラーにお赦しを請いましょう。 預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)はこう言われています。        《自分自身を愛するように兄弟を愛すまでは、誰一人信者ということはできない。》アル=ブハーリーとムスリム出典/40のハディース (14)シリアのイスラーム学者、ドクトールブーティー先生(彼にアッラーのご加護がありますように)の解説では、この兄弟とは、人類兄弟すべて、ムスリムとムスリマでない方たちすべて、ということです。なぜなら人間は、すべてアッラーの僕だからです、それに気付いていようがいまいが。全人類は誰も皆、アッラーがお創りになられました。被災地の方々にアッラーのご援助がありますように。

2011年3月16日水曜日

ICOJより、東北地​方太平洋沖地震、被災​者支援のお願い【最新​版】

アッサラームアライクム ワ ラフマトゥッラーヒ ワ バラカートゥフ。

3月11日に起こった東北地方太平洋沖地震から数日が経過し、その被害の大きさが日々テレビなどでも報道されています。その後も余震が続き、被災者の方々は毎日不安なお気持ちで過ごされていることと思います。また、困難な状況もなかなか改善されず続いているようです。
ICOJイスラミック・サークル・オブ・ジャパンでは被災者の方々への義捐金を集める活動に引き続き、支援物資を集める活動も始めております。少しでも被災者の方々の助けとなるよう、皆様ご協力をお願い致します。

下記に、義捐金・支援物資の詳細をお知らせ致します。

注)義捐金につきましては、先日ご案内いたしました口座とは変更になっております。お間違いのないようご確認お願い致します。
既に前回ご案内口座にお振込いただきました分につきましては、こちらの口座お振込分と合わせて義捐金とさせていただきます。お振込、ありがとうございました。ジャザークムッラーフハイラー。

被災された方々に、アッラーのご援助がございますように。


ICOJイスラミック・サークル・オブ・ジャパン



***義捐金*** 

<ゆうちょ銀行>

◎ゆうちょ銀行よりお振込みされる場合
記号 10040
番号 88602691
振込手数料はかかりません

◎他銀行よりお振込みされる場合
店名 〇〇八
店番 008
普通預金
口座番号 8860269

名義(いずれも)
イスラミックサークルオブジャパン

<三井住友銀行>
・口座番号:(普通口座)6745857
・支店名:行徳支店
・口座名:ベイトルマールアイシーオージェ

※お振込みいただく際には、ご自分のお名前の前に<ZF>を入れて下さい。



***支援物資***

*必要な物
・お米 ・ドライフード ・ドライフルーツ ・オムツ(大人用・子供用) ・生理用品  
・ティッシュ(ウェットティッシュ・トイレットペーパー) ・軍手 ・乾電池 ・懐中電灯
・マスク ・ジャンパー ・靴下 ・下着(温かくなれるもの) ・毛布 ・ストーブ(灯油のものがよい) 
・飲み物(水・お茶など) ・粉ミルク ・哺乳瓶 ・ふりかけ ・歯ブラシ ・歯磨き粉 ・石鹸 ・タオル
・薬(すぐ飲めるもの)

<届け先>

※お荷物にわかりやすいようにとご記入願います。

ダールルアルカム マスジド
郵便番号:111-0025
住所:東京都台東区東浅草1-9-12
名前:ザイナブ
電話番号:03-3871-6061

ヒラー マスジド
郵便番号:272-0133
住所:千葉県市川市行徳駅前3-3-19
名前:ジャミル アマド
電話番号:090-3574-9812

クバー マスジド
郵便番号:374-0024
住所:群馬県館林市本町4-7-26
名前:アルシャド ハミード
電話番号:090-5505-3650

バーブルイスラーム マスジド
郵便番号:323-0827
住所:栃木県小山市大字神鳥谷237-1
名前:モハンマド サーディク
電話番号:090-3337-1894

マスジド アブーバクルスィッディーク
郵便番号:310-0844
住所:茨城県水戸市住吉町153-7
名前:サイード ベーグ
電話番号:090-4847-5799

イクラ マスジド
郵便番号:322-0013
住所:栃木県鹿沼市深津891-9
名前:アマーナト アリー
電話番号:090-1771-0292

2011年3月15日火曜日

Photos of Tsumani

改めて、自然の力はすごいって感じました・・・・・・・

人間は自然の前では、何も太刀打ちできないですね。





Pray together!



ここ、ケニアから祈っています。
一緒に祈りましょう!

アフリカと日本は遠いようで近いと思う。世界中の人たちが持っている日本への希望、想いは、きっと届く!

RAINING

昨日の夜、ナイロビに久々の雨が。
ありがたい雨でしたが、短かった。

もっと雨降っても良い季節なのに。
雨、やって来ないね~~~~。

雨季に入ったと思わせるような、大雨がちょっと前まで続いてたのに。。。

また、このまましばらく雨が降らないと、水不足になっちゃうよね。


でも、
今、世界で起きている、紛争、災害などを考えると、私は平和に生かされていることに感謝しないと。

相方、Mudiは、今、出張中で、ナイロビにはいないのですが、
出張先から、日本の地震のニュースを聞いて、電話来ました。
絶句状態。Very sorryとしか、言葉が出ないよ。。。。って感じでした。


I pray for Poeple in Sendai,Miyagi,Iwate/Japan and people live in Libia!
Be safe and be peace!

2011年3月14日月曜日

PRAY FOR JAPAN


外国人から見た日本

潘基文(パン・ギムン)国連総長
「日本は世界で助けを必要としている人たちに対する最大の支援国の一つ。この極めて困難な時に、国連は日本国民と共にある。われわれは(日本のために)全力を尽くすだろう」

オバマ大統領(アメリカ)
「私は日本には特別な思い入れがある。ハワイで日本人や日本の文化に触れてきた。今回の地震は胸が押し潰される思いだ。でも私は楽観的だ。あれだけの経済や技術を築き上げてきた日本人だ。必ずこの困難を克服するだろう。そのための支援をわれわれは惜しまない」

CNN(アメリカの全国ネットテレビ局)
「有史以来最悪の地震が、世界で一番準備され訓練された国を襲った。犠牲は出たが他の国ではこんな正しい行動はとれないだろう。日本人は文化的に感情を抑制する力に優れている」

米ニューヨーク・タイムズ(電子版)は11日、
「日本への同情、そして称賛」と題するコラムを掲載。
阪神大震災時に東京支局長だったニコラス・クリストフ氏が執筆し、
「きょう、私たちの気持ちは皆、日本の人々とともにある」
とエールを送った。
 
中国主要紙は、
「破壊度は(2008年の)四川大地震の20倍」と報道。
日本批判の書き込みが多い中国のインターネットには
「四川大地震のときに日本は支援してくれた。今回は中国の番だ」「がんばれ日本人」
などと励ましのコメントが多く寄せられた。
日本の災害を喜ぶ書き込みもあるが、「中国人の恥だ」と批判が殺到している。

1999年の台湾中部大地震の救済・復旧を指揮した李登輝元総統も11日夜、
インターネットを通じ
「台湾で起きた大地震を思い出し、現在の日本の皆さまの不安や焦り、悲しみなどを思い、刃物で切り裂かれるような心の痛みを感じています」
「自信、勇気を奮い起こしてください!」
と激励を発表した。


CNNの専門家の言葉

「日本の国民はミラクルだ。被害は確定しないが、他国だったら数倍の被害になっていただろう」
「ハイチの500倍以上の威力の地震で津波到達まで5分しか時間ない中で、信じられない対応だ」
「この国民には常に準備がある。この国は常に事態に準備ができるのだ」

物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、
そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。
運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。

深夜の東京駅で目にしたのは、
未曾有の天災に襲われながらも整列してタクシーやバスを待ち、
粛々と家を目指して歩き、或いはじっと耐えて外で夜を明かす人々の姿
この光景を見て外国人は絶句したようだ。


この国民性、成熟度の高さ文化的な力は、どの国も勝つことはできない。


「ツイッター」の中国版「微博」では、
ビルの中で足止めされた通勤客が階段で、通行の妨げにならないよう両脇に座り、
中央に通路を確保している写真が11日夜、投稿された。
「(こうしたマナーの良さは)教育の結果。(日中の順位が逆転した)国内総生産(GDP)の規模だけで得られるものではない」
との説明が付いた。

この「つぶやき」は7万回以上も転載。
「中国は50年後でも実現できない」
「とても感動的」
「われわれも学ぶべきだ」
との反響の声があふれた。

湖南省から東京に留学し、日本語学習中に地震に遭った中国紙、
瀟湘晨報の中国人記者は、日本語教師が学生を避難誘導、
「教師は最後に電源を切って退避した」
と落ち着いた対応を称賛。
ネット上に掲載された記事には
「日本人のマナーは世界一」
「人類で最高の先進性が日本にある」
などの書き込みが相次いだ。

「日本の学校は避難所だが、中国の学校は地獄だ」
といった中国政府や中国人 の対応を批判する書き込みも。
2008年5月の四川大地震では、耐震性の低い 校舎が多数倒壊、
5千人を超える子どもが死亡。
生徒を置き去りにし、真っ先に逃げた教師が批判された。

暖かい声

"暗すぎて今までに見たことないくらい星が綺麗だよ。仙台のみんな、上を向くんだ。"

"ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて「何だ?」って一瞬思ったけど、その後その子たちが、避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった"



"外国人から見た地震災害の反応。物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。この光景を見て外国人は絶句したようだ。本当だろう、この話。すごいよ日本。"


"国連からのコメント「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する。」"


"一回の青信号で1台しか前に進めない中、譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。交通が5分以上完全マヒするシーンもあったが、10時間の間お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。日本がますます好きになった。"


"昨日の夜中、大学から徒歩で帰宅する道すがら、とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパン配給していた。こんな喧噪のなかでも自分にできること見つけて実践している人に感動。心温まった。東京も捨てたもんじゃないな。"


"韓国人の友達からさっききたメール。(日本語訳後) 「世界唯一の核被爆国。大戦にも負けた。毎年台風がくる。地震だってくる。津波もくる……小さい島国だけど、それでも立ち上がってきたのが日本なんじゃないの。頑張れ超頑張れ。」ちなみに僕いま泣いてる。"


"ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。いつも私達は横目で流してるのに。あたたかいです。"


サントリーの自販機無料化softbankWi-Fiスポット解放、色んな人達が全力で頑張っててそれに海外が感動・協力してる。海外からの援助受け入れに躊躇したり自衛隊派遣を遅らせたりしてた阪神淡路大震災の頃より日本は確実に強い国になってるんだ。みんな頑張ろう。"


"終夜運転のメトロの駅員に、大変ですねって声かけたら、笑顔で、こんな時ですから!だって。捨てたもんじゃないね、感動した。"


"都心から4時間かけて歩いて思った。歩道は溢れんばかりの人だったが、皆整然と黙々と歩いていた。コンビニはじめ各店舗も淡々と仕事していた。ネットのインフラは揺れに耐え抜き、各地では帰宅困難者受け入れ施設が開設され、鉄道も復旧して終夜運転するという。凄い国だよ。GDP何位とか関係ない。"




"日本全国の皆さん。やさしさを失わないで下さい。弱い人をいたわり、互いに助け合い、許そうとする気持ち失わないで下さい。あなたが不安な時、きっと周りの人も不安なはずです。これが私達の願いです。私達も同じ気持ちで頑張ります。"



"2歳の息子が独りでシューズを履いて外に出ようとしていた。「地震を逮捕しに行く!」とのこと。小さな体に宿る勇気と正義感に力をもらう。みなさん、気持ちを強く持って頑張りましょう。"




"4時間の道のりを歩いて帰るときに、トイレのご利用どうぞ!と書いたスケッチブックを持って、自宅のお手洗いを開放していた女性がいた。日本って、やはり世界一温かい国だよね。あれみた時は感動して泣けてきた。"


"日本全国の皆さん。やさしさを失わないで下さい。弱い人をいたわり、互いに助け合い、許そうとする気持ち失わないで下さい。あなたが不安な時、きっと周りの人も不安なはずです。これが私達の願いです。私達も同じ気持ちで頑張ります。"

Voices from poeple for JAPAN

"It's pitch dark but we've never seen so many beautiful stars. Look up, Sendai! -conversation at the quake site."

"Disneyland gave out sweets from their shops. Some high school girls got many as they can. I thought why, but they gave the sweets for children in evacuation site. That was really moving scene."


"My two year old was putting his shoes on himself saying "I'm going to go arrest the Earthquake!" I realized that inside a tiny body, there is a lot of courage and Justice. Everyone, lets stand strong and get through this.


"So busy traffic. Only one car can go across the traffic light per one blue light, but I was moved to see people drive gently with giving their way. Some intersecions has been completly stopped for more than 5 min., but I've neber heard any horn sounds except the sounds said "Thank you" for 10 hours. I was sceard, but also I've had warming time, and came to like Japan more


"Last night when I was tired out waiting for the train at the station, the homeless people gave me one of their cardboards to prevent the cold... even though we usually ignore them in daily life... So warm."


"Disneyland gave out sweets from their shops. Some high school girls got many as they can. I thought why, but they gave the sweets for children in evacuation site. That was really moving scene."


"I received an email from my Korean friend: "The only country to have experienced nuclear attacks. The country that lost the WWII. The country that suffers from typhoons every year and the earthquakes. However, isn't Japan the country that always stood up and overcame such difficulties? Gambare. Gambare." FYI, I am crying right now."


"Last night, when I walked back to home from Campus, a female baker gave us bread for free, even if she has already closed the store. It was moving that I could find people who do things they can do in such loud situation. My heart became warm. Tokyo is not something dumped."


"There was a train driver who had been working all night long. When I went up to him and said "It must be tough for you", he smiled and said to me, "What else can I do at a time like this?" Made me rethink about the people of Japan. Moved me."



"walked for 4 hours just to get home. Everyone was walking home silently, diligently. People working at the shops were doing their job. The Internet managed to hold, despite of the enormous overflow. Emergency shelters were opened and trains were quickly restored and ran all night. What a tough county. It doesn't matter what GDP we have."



"The vending machine, the internet wifi spot has been opened to the public; everyone is cooperating and people around the world are moved by this and are trying to help. We have changed since the time the Hanshin earthquake struck 16years ago. We have grown stronger."



"People of Japan, please do not lose your kind hearts. Be gentle to the weak, be helpful to each other, and always have a forgiving heart. Everyone is anxious, just like you. This is our prayer, and we shall also keep this in our hearts."



"People buying things at scattering supermarkets, with picking up thing fell off, and making line to pay. Elder person who gave his seat to a pregnant mother, even in a crowded train which just started the operation. Foreigners shocked by these sight. These must be real. Amazing, Japan."

2011年3月12日土曜日

President Kibaki consoles the people of Japan

Nairobi , March 11, 2011

President Kibaki consoles the people of Japan

President Mwai Kibaki has sent a message of sympathies and condolence to the Government and people of Japan following today's devastating Tsunami that claimed the lives of several people.

In his message, President Kibaki noted that the earthquake measuring 8.9 on the Ritcher scale had caused immense destruction in Japan.

"On behalf of the Government and the people of Kenya, and on my own behalf, I send this message of condolence and encouragement to the government and people of Japan and assure them that Kenyans are with them during this difficult time," President Kibaki said.

The Head of State also wished those injured during the Tsunami that resulted from the devastating earthquake who are admitted in hospital quick recovery.

President Kibaki prayed to God to grant the bereaved families the strength and fortitude to bear the loss.

EARTHQUAKE IN SENDAI/JAPAN

日本大使館からのSMSが携帯に入る。
内容は、仙台にて大地震。

なんとなく、ピンとこなかったけど、TVのCNNでニュースの確認をして、事の大きさを知る。
会社のケニア人の同僚からも、私の家族の事を心配して、電話をかけてきてくれる優しい方もいたり。
こんな時、優しい心使いをくれる、ケニア人同僚のありがたさを感じます。

私の家族のほとんどは大阪、関西なので、みんな無事なんですが、
お母さんの妹家族が、確か仙台に住んでいるので、その確認もかねて、親に電話をしました。
幸いにも、全員無事ということを聞いて安心しました。

東京方面に住んでいる友人なども無事なようで。
今後も、しばらく注意が必要かとお思いますので、みなさん、気を付けてくださいね。


ケニアにある、モンバサという港街にも、津波が来るそうです。
おそらく、たいしたサイズの津波ではないかとは思いますが。



数日前、変な夢を見て、怖くて、目を覚ましたことがありました。
その夢の内容は、大きな津波が、町を襲うって内容。
しかも、私は、超高層ビルに居て、ブルのフロアーごと落っこちそうになってるの。
その落っこちそうになっている時に、周りを見渡したら、町に大きな津波が流れてきて。
ってとこで、怖くて、目を覚ましました。

なんか、リアルすぎて、怖い。

2011年3月2日水曜日

アル・シャバーブ?

イスラム系過激派組織「アル・シャバーブ」によるテロ攻撃宣言に伴う注意喚起

1 ケニアの隣国ソマリアでは、ソマリア暫定連邦政府(TFG)側とイスラム系過激派組織「ア
ル・シャバーブ」との間で戦闘が継続しており、ケニア及びエチオピアとの国境沿いの各地域では
両者間で戦闘が激化しています。

2 このような状況下、2月23日、ソマリア国境沿いのケニア北東部マンデラにおいて、ソマリ
アから越境したアル・シャバーブの戦闘グループとTFG軍及び国境沿いを警戒中のケニア政府軍
との間で激しい戦闘が行われ、十数名の死傷者が出ました。同事案発生後の27日、アル・シャバ
ーブの報道官は、「TFGを支援しているケニアに対し報復のための攻撃を行う。」との声明を発出
しました。

3 このアル・シャバーブによるテロ攻撃宣言を受け、ケニア政府は、28日、警察長官が「多く
の人が集まるショッピングモール、公共交通機関、ホテル、その他公共施設等の警備を強化する。」
と発表しました。ケニア警察では、他の治安関係機関等とも協力してテロ攻撃を防止するための警
戒警備を強化しています。

4 つきましては、ケニアに滞在されている方は、十分な警戒を行って下さい。
特に標的となる可能性のある外国人も利用するショッピングモールやレストラン、ホテル、
空港等、多くの人が集まるような場所では、周囲の状況に注意を払う等、自らの安全確保に努め
て下さい。

2011年3月1日火曜日

BUG?芋虫?







綺麗な子発見。

日本語では、芋虫というのでしょうか?
でも、芋虫と呼べないほど、かわいい。

外で食事をしていたら、どこからともなく、現れてきた子。

Vehicle



↑この車はCOOLでした。Masai Maraにて。
はじめてみた、トラック以外のこんな大きな車。

大雨が降って、道が川状態になったとしてもこれなら大丈夫!!!!
こんな車でMasai Maraでサファリしてみたい。
象が近くに来ても怖くないよね。



さて、話は変わりますが、今日はいやなニュースが。

ナクルに向かう途中、対向車トラックが完全に、道路の真ん中を走ってきて、車にぶつかってクラッシュ。。。。

けが人はなかったのですが、恐ろしい。
トン単位のトラックが突っ込んでくるわけですよね。

こちらの車の運転マナー。もっとよくならないのでしょうか?


ほぼ毎日、街のどこかで、交通事故の車を見ているので、本当に怖くなります。

明日は我が身と忘れず、運転には最新の注意しないと。