2011年12月18日日曜日

イスラム教の教えではなく、人としてのムスリムに目を向ける

イスラム教の教えではなく、人としてのムスリムに目を向ける
違いだけに目を向けた異文化理解では不十分
佐藤 兼永

、「イスラム教をどう理解するか?」という問について考えてみたい。ムスリムでない限りイスラム教を完全に理解することはできないという結論に至る。しかしイスラム教を理解することにこだわるよりも、ムスリムがイスラム教を信じていることを尊重することの方が重要だ。

 イスラム教を完全に理解することが難しいことを示すため、「最後の審判」を例に取ろう。


イスラム教では、最後の審判が、人が裁けない罪悪――「良心」に従ってイスラム教の教えを実践したかどうかなど――を含めた人間の罪悪を裁く。例えば、一夫多妻制を「正しく」実行するかどうかは、夫のムスリムの信者としての良心にかかっている。

 前回も登場してもらった日本人ムスリムの大久保賢さんは、勝手に2番目の奥さんと結婚してしまうようなムスリムがいる背景の1つとして、配偶者ビザ目当てで結婚するケースがあるという。この時、誰が最初からビザ目当てで日本人と結婚したのかを見極めることは非常に難しい。ようは、その夫の良心に質すしかない。

 最後の審判を信じることは、イスラム教の基本的な信仰の1つだ。最後の審判を信じ、恐れるムスリムならば、良心に従って、イスラム教の教えに則って2人目以降の妻を娶っている「はず」である。

 しかしイスラム教などの最後の審判を信じる宗教に帰依していない大半の日本人にとって、最後の審判が、ムスリムが良心を実行することを担保していることは、理解が難しいのではないだろうか。日本では「嘘をつくと地獄に落ちる」と言われる。しかし、地獄の存在は、うそをつくことを抑止しているケースは少ないと考える日本人が大半ではないか。

 最後の審判より以前に、一夫多妻という制度について納得できない人もいるだろう。「一夫多妻が、戦争未亡人を救済するために始まったことなら理解できる。でも、それが現代でも続いていることが受け入れられない」「2人の妻たちを平等に扱うことなどそもそも無理。だからイスラム教が一夫多妻を認めていると考えること自体がおかしい」。

 イスラム教をどこまで理解できるかの限界点は人それぞれだ。しかし、ムスリムでない人間が「ムスリムが理解しているようにイスラム教を理解すること」は無理だと言い切っても、恐らく言いすぎではないだろう。

ムスリムの暮らしから目を背けると、イスラム教への誤解が生じる
 大久保さんは、イスラム教の教えや概念にばかり目を向けて、ムスリムの人となりに目を向けようとしない姿勢に注意を促す。

 「最後の審判のような『概念』について話をすると、ムスリムがどれだけ生き生きと生活してるかが見えないんですよ。概念についての関心だけが先行するから、イスラム教が『異常な洗脳宗教』みたいに思われちゃう」(大久保さん)


マレーシア人のムスリムで、神奈川県内の日本企業に勤めるハディヤンさんは、メディアが、日本人がイスラム教を理解する際の壁になっていると考える。メディアは、視聴者や読者が興味を抱く情報を提供するという特性を持つ。それゆえ、イスラム教にまつわるニュースではテロや紛争などのネガティブな話を報道する――というわけだ。


「(ムスリムだって)悪い人ばかりではない。イスラム圏を旅すれば、そこに暮らす人たちは、自分たちと同じ人間だと気づくでしょう。彼らは笑うことが好きです。冗談を言い合ったり、遊んだりすることが好きです。メディアは、受け手が見たいと望むものを映します。普通の人々の日常を見せられたって退屈なだけですから。皆さんの日常が退屈であるように」

 大久保さんと違い、ハディヤンさんは偏ったニュース報道がイスラム教に対する誤解を助長している側面に注目する。しかし結果的に、イスラム教がからんだ報道の中でも、「ジハード」のような概念が注目を集めることも多い。

 2人の指摘は、以下の2点において一致していると言えるだろう。我々が、イスラム教の教えや概念などにばかり目を向けがちなこと。そして、ムスリムの人としての日常に目を向けていないこと、だ。

極論すれば、ムスリムとの共存にイスラム教の理解は必要ない
 ムスリムと付きあいが深い日本人に話を聞くと、大久保さんやハディヤンさんが「ムスリムの人としての姿」を強調する意味がよく分かる。ムスリムと日常的に付きあいのある人たちは決してイスラム教に詳しいわけではない。関心があるのは、そのムスリムの人となりだ。

 茨城県日立市で中古車販売業を営む、柴田自動車販売の柴田真以千(しばた・しんいち)さんは、同じく日立市内で中古車の販売と輸出を手がけるチーマ・アルシャッドさんと10年来の付きあいだという。チーマさんの第一印象を尋ねると、「怪しかった」と即答して大きな笑い声を上げた。

 しかし、打ち解けた後は、柴田さんが結婚するまで、まるで兄弟のように仲良くしていたという。2人で新潟まで中古車の買いつけに出かけたこともあるし、互いの家を頻繁に行き来していた。今でも、柴田家の家族全員とチーマさんとの付きあいは続いている。

 それでも、柴田さんのイスラム教についての知識はごく基本的なものでしかない。「え~。まず肉。豚肉は食べられない。酒を飲んじゃいけない。あと、お祈りをする。それくらいですかね。お祈りの回数は1日に3回なのかな? 5回なのかな?」

 柴田さんの母親である文子さんに同じ質問をすると、「私たちは宗教のことについては分からないから、なおさらズバリ聞いちゃうのよねぇ」と言いながら答えてくれた。チーマさんから聞いた話の記憶はあいまいだ。「なんか、お祈りをする方向があるってチーマ言っていた気がするのね。それと断食の話を一度聞いたことがあるわね。それで何かを食べちゃいけなくって、お水は飲んでいいって言ったのかな」(柴田文子さん)

 このような話を聞くと、ムスリムの中にはがっかりしてしまう人もいるかもしれない。しかし、ムスリムと付きあう上で、イスラム教についての理解はこのくらいで差し支えないのではないだろうか。もちろん、より正確な知識を身につけているに越したことはないだろう。しかし「よく分からないけれど、彼らにとって宗教は大事なことらしい」くらいの受け止め方でよいのではないだろうか。

 真以千さんに、当初「怪しい」と思ったチーマさんと仲良くなった決め手を聞くと、「知り合った当時、中古車を買いに来た外人にしてはちゃんとしていて、素性がしっかりしており、約束を守る人間であることが次第に分かった」と理由を挙げた。

 そして文子さんはチーマさんと柴田家の関係を次のように表現した。「人間と人間の付きあいっていうか。だから宗教はもちろん関係ないし」


相手の信仰を尊重すればよい
 少なからぬ日本人が、異文化との付きあいに苦手意識を持っているのではないだろうか。特に、その異文化に宗教が絡むと、身構えてしまったり、萎縮してしまうことが多いように思える。しかし取材を続けていると、宗教というものは、日本人に限らず誰にとっても話題にしにくいものだと気づく。

 前回登場してもらったインドネシア人のメタ・アストゥティさんは、インドネシア人の生活において宗教の話題は「できればノータッチ。すごくセンシティブですねから」との見解を示す。インドネシアは、穏健なイスラム教国のイメージがある。メタさんによると、同国内における宗教間の摩擦は皆無ではないが、異なる宗教を信仰する国民が比較的平和に暮らしている。

 インドネシアは世界最大のムスリム人口を持つ国で、ムスリムが総人口の8割以上の多数派を占める。だが、イスラム教は国教ではない。インドネシアは、イスラム教のほかにプロテスタント、カトリック、ヒンズー教、仏教そして儒教などを宗教として公式に認めている。

 彼女の話を聞くと、インドネシア人が、互いに共存するための心得のようなものを身につけているように思える。「例えば私とキリスト教徒の友達は宗教の話もします。でも、『なんであなたはキリスト教を信じてるんですか?』といった話は絶対しない」。なぜなら、そんなことは「大きなお世話」だし「失礼」だからだ。



 連載第13回で紹介した中村美香さんは、日本人ムスリムで助産師の田村千亜希さんと知り合うまで、ムスリムはおろかクリスチャンに会ったこともなかった。しかしメタさんが言う「人としての当たり前の心得」を、子供の頃の生活から自然と体得した。

 愛媛に生まれ育った中村さんにとって、信仰に則って生きることは普通のことだと言う。自分自身は信仰を持っていない。しかし小さいときから白装束のお遍路さんの姿を見て育った。そんな彼女にとっては、田村さんがイスラム教を信仰しているのは、お遍路さんたちが弘法大師を信仰していることと同じだという。

 そんな彼女が、「イスラム教のことを否定的に言う人が存在する」と語る田村さんの話を受けて、こう言った。「自分が信仰していることをとやかく言われるのは嫌なはず。他人の信仰を『好き』とか『嫌い』ということ自体がおかしいのでは?」






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ムスリムを受け入れることで企業も成長する

ムスリムを受け入れることで企業も成長する
日本の会社で働くムスリム2
佐藤 兼永

古河電気工業の人材育成部で外国人の採用に携わる関尚弘さんが、留学生向けの会社説明会で初めてソリハさんに会った時、有望な候補だと直感的に思ったという。古河電工は海外での売上比率を将来的に50%まで引き上げる計画を実行している。このため「会社に来てほしい」と思わせる優秀な留学生に出会った時には「入社してくれるよう、なりふり構わず」働きかけるようにしている。

 ソリハさんとは『The Goal』という本の話で意気投合し、来てほしいと思った。会話のなかで彼女の宗教が話題に上ることはなかったが、インドネシア出身でスカーフを被っていたことから、恐らくムスリムなのだろうと想像はついた。

 関さんはこう振り返る。「『宗教が原因で何か問題になる事はあるのかな』と思ったことはありました。何が起こるか全く分からなかった、というのが正直なところです。でも彼女には来てほしかった。だから彼女に来てもらうという前提で、何をすればよいのかを調べていった」。

分からないことは聞くのが一番
 ただ、少しだけ自分で調べた段階で、彼女に直接聞くのが一番だと気づいたという。

 「調べても分からないし、既に何回か会って話もしている。分からないことは分からないと、聞いた方がよいと判断しました。彼女に聞いたら、きちんと全部話をしてくれました。こちらの不安にも全部答えてくれて」(関さん)。

 関さんによると、疑問を解消するためにソリハさんと交わしたメールの数は、彼女が入社するまでに200通近くに上ったと言う。例えば、「1日5回の礼拝はきっかりと決められた時間にやらないといけないもの」と思っていたが、実際は、ある一定の時間内の都合の良い時にすませればかまわないと知った。公園でも人目を気にせずお祈りするソリハさんを見て、礼拝という行為が彼女にとって当たり前で自然の行為だと気づいた。その結果、面接が最終段階に差し掛かった頃には、長時間拘束しても問題ないように、彼女のために礼拝用の部屋を用意するようになった。

 ソリハさんにしてみれば、このような、関さんの「なりふり構わない」姿勢のおかげで、イスラム教に対する会社の理解度を知ることができた。

 「どちらかと言うと、人事の関さんが積極的に色々提案してくださいました。お祈りはいかがですかとか、お祈りの場所はどこにしますかとか」(ソリハさん)。

スカーフが機械に巻き込まれてしまったら…
 関さんが最も不安を抱いていたのはスカーフのことだった。
 スカーフを被ること自体は、信仰の徴ということもあり、全く問題視しなかった。しかし古河電工は製造業だ。ソリハさんがスカーフ姿で工場に出向いた時のことを考えると、安全面に不安があったという。

 「設備のそばを通った時に、スカーフが機械に巻き込まれてしまったら怪我をする。そんな事態をリスクとして心配しました」(関さん)。

 そこでインドネシアにある子会社の社長と電話やメールで相談した。だが、ソリハさんを工場見学に連れて行くことで、不安は自ずと解消された。頭部にゴムが付いたスカーフで現れたソリハさんは、工場に着くとスカーフの上から上着を着込んだ。頭部はゴムひものおかげで風に煽られることはなかった。スカーフの裾も上着の下に入っているので機械に巻き込まれる心配はなかった。

 会社勤めのムスリムと話をしていると、「日本人は宗教を会社に持ち込むことを嫌がる」という発言を聞くことがある。彼らに「会社への取材を承諾してもらえるか」と訊ねると、「宗教という個人的なことで会社に迷惑をかけたくない」という言い回しで断られることがたびたびあった。



しかし古河電工内でそのような批判が起こることはなかったと関さんは言う。「そもそもそのような批判が起こることを想定もしなかったし、オフィス内での礼拝の是非について議論が起きることもなかった」(関さん)。ただ、ソリハさんがどの部屋で礼拝するかを、メールを通じて人材育成部内で情報共有した。

 「当社は、(文化が違うことや、日本人ではないことで起こりうるコミュニケーション・ギャップを)理解してくれる人が多い会社です。それに、彼女であれば、批判する人は居ないと思っていましたから。彼女の行動なり振る舞いなり仕事の仕方を見れば、そんな人は現れるはずがないと確信して採用したので。偉そうに聞こえるかもしれませんけども、それだけの自信を持っていましたから」(関さん)。

ムスリムと共存することで企業も成長する
 とはいえ、彼女が入社した時に周りの人がどう見るだろうというのを気にしなかったわけではない。ただ、それが会社にとって問題になるとは思わなかった。「最初は、やっぱり気にする人が居るかもしれないし、違和感を覚える人がいるかもしれない。けれども、じきに慣れるだろうと思いました。その慣れが、この会社に必要なんだと考えました」(関さん)。

 関さんは、このような慣れは、ソリハさんのために必要なだけでなく、古河電工が国際化していくために乗り越えなければならないハードルの一つなのだと捉えた。

 「彼女がお祈りだと言って席を立った後に、彼女宛てに電話かかってきたとします。『ソリハは居ますか』。『いや、今ちょっとお祈りしております』という対応が普通にできるようになったら、イスラム教の他のお客さんとも何の違和感もなく話ができるはずなんですね。それが大事なことなんです」(関さん)。

グローバル企業は必然的にムスリムを受け入れる
 ソリハさんは、日本の会社に勤めるムスリムとして、恵まれているのだろうか? それとも、日本企業全体において異文化に対する許容度が深まり、異なる文化的・宗教的バックグラウンドを持つ社員を受け入れることが、当たり前になりつつあるのだろうか?

 ソリハさんには、日本の会社に就職する前からスカーフを被っていたインドネシア人の先輩が10人ほど居る。彼女らの就職先は金融機関からメーカー、サービス業まで多岐にわたる。そのうち誰一人として、就職の際にスカーフを外すように求められた人は居ないという。

 「グローバル展開している企業であれば、(ムスリムであっても)特に問題ないと思っております。そもそも外国人を国内で採用する理由もグローバル展開にあるわけなので。国内で、特に海外に展開する必要のない企業であれば、そもそも外国人を採用する必要はないでしょう」(ソリハさん)

日本人ムスリムに対する許容度は高まっているのか?
 ただ、外国人のムスリムはその習慣の違いを認めてもらえても、「日本人ムスリムが認めてもらうことは難しい」と考えているムスリムは多い。ソリハさんも外国人に対する対応と日本人に対する対応に差があると考えている。

 「私はたぶん外国人なので、ヒジャーブを被ることが許されているのだと思います。一つの外国文化だと考えてもらえる。しかし、日本人ムスリマ(女性のイスラム教徒)は、プライベートなことは――宗教もその一つ――職場には持ち込めないといったことがあると伺っています」(ソリハさん)。

 ソリハさんは、日本人ムスリマで、出産して仕事を辞めるまでスカーフを被って働いていた人を一人だけ知っているという。その人も、海外でも事業展開を行う会社に勤めていた。









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ムスリムへの理解の背景にある“外国人性”

ムスリムへの理解の背景にある“外国人性”
“純粋”日本人ムスリムへの理解は上司しだい
佐藤 兼永

連載はいよいよ終盤に入る。今回から再び、職場におけるムスリムに目を向ける。

 まず、日本の会社がムスリムの宗教的ニーズ――社内でお祈りすることなど――に対して理解を示すケースが増えていることを再確認する。その上で、日本の会社が示すムスリムへの理解が、本当に社員の多様性を認めることを意味しているのか、疑問を提起したい。そして最後に、会社の理解を得るためにムスリムの側が何をできるのかを見る。

 連載のはじめに3人の会社員ムスリムに登場してもらった。第3回と第4回のソリハ・ヒダヤティさん、第5回の樋口美作さん、第6回のイーマーンさんの3人だ。

 日本人男性ムスリムである樋口さんは、1998年までの会社勤めの間、イスラム教への理解をほとんど得られなかった。しかし、2010年古河電気工業に入社したインドネシア人ムスリムであるソリハさんは入社面接を受ける時から会社の配慮を受けてきた。日本人女性ムスリムのイーマーンさんは現在、スカーフを勤務中に被ることは認められていないが、それ以外の面では理解を得られている。3人の例からは、日本社会が徐々にムスリムへの理解を深めている姿が見て取れる。

 この3人とは別に、会社から理解を得ているムスリムを紹介しよう。首都圏のメーカーに勤務するムスタファさんだ。ムスタファさんは現在の勤め先に入社する直前にムスリムになった。そして入社して最初の飲み会で「ムスリムだから酒は飲めない」と説明した。入社から半年以上たってからは、直属の上司から会社内で礼拝する許可を得た。また日本で生まれ育った2世の日本人ムスリムの中には、スカーフを被り大手の金融機関に勤務している人も出てきた。

 しかし、ムスリムに対する日本の会社の理解には、どこかしっくりこない所がある。言い方は悪いが、宗教的ニーズに対する理解を職場で得ているムスリムは、かくれんぼの“おまめ”あるいは“おみそ”のような存在に見なされているように思える。

“外国人扱い”と引き換えに受け入れられる日本人ムスリム
 会社から理解を得られているムスリムの共通項を考えると、“外国人性”が浮かび上がる。金融機関に勤める2世の日本人ムスリムは日本人とパキスタン人のハーフだ。ムスタファさんも、実は“生粋”の日本人ではない。父親の仕事の関係のためヨーロッパで生まれ育ち、北米の大学を卒業した。つまりムスタファさんは帰国子女だ。

 ムスタファさんは、ムスリムであることを打ち明けた最初の飲み会で、上司から「海外では宗教を持たないことは動物と同じと思われるらしいな」と言われたという。つまり、ムスタファさんが帰国子女だからムスリムになっても不思議ではないと思われたわけだ。

 人は、自分と同じであるはずの日本人がムスリムであることを理解しようとする時、そのムスリムが持つ“外国人性”と結びつけるのが、最も自分を納得させやすい方法なのだろう。しかし見方を変えると、そのムスリムを“正式な仲間”と認めないからこそ相手がムスリムであることを許容していると言えないか。

組織の決定権者の理解がカギ
 “外国人性”を全く持たない日本人ムスリムがムスリムとしての務めが果たせるかどうかは、決定権を持つ人、多くの場合、直属の上司の理解が得られるかどうかにかかっている。

 東京にある大手メーカーの関連会社で勤務している日本人ムスリムの例を紹介しよう。彼は30歳の時、それまでの会社を辞めてバックパッカーとして世界放浪の旅に出た。訪れた30カ国の1つ、イランの小さなモスクでムスリムになった。

 帰国して最初の会社に入社した時、社内での礼拝について上司に相談した。しかし上司の理解を得られなかったという。そこで礼拝時間になると、自分の席に着いたまま礼拝の動作を頭に思い浮かべ、心の中でコーランを唱えた。このような状況はけっして満足できるものではなかったが、「イスラム教は働くことも大切だと教えている」と自分に言い聞かせ、納得しようとした。

 2010年の4月になって状況が好転した。勤めていた会社の子会社である、現在の勤務先に出向することになった。



「出向した会社の部長がインドネシアに過去5年駐在していた人でした。つまり、ある程度ムスリムを理解してくれる上司に変わりました。それで、自分がムスリムであることを伝え、礼拝の相談もしたところ、『会議室で勝手に礼拝してもいいよ』と言ってくれました。おかげで、今は1日5回の礼拝を時間通りにできるようになりました」(日本人男性ムスリム)

 彼が以前勤めていた会社と現在の会社はグループ企業であるだけでなく、同じ建物の同じフロアにオフィスを構えている。そして2つの会社は会議室も共用している。つまり、同じ会議室で礼拝することについて、最初の会社の上司は「そこでは礼拝できない」と言い、現在の上司は許可したことになる。

 彼の話はハッピーエンドで終わった。しかし日本人ムスリムの中には「会社での礼拝なんて考えることもできない」と言葉少なに言う人がいまだにいる。ムスリム個人にとって切実なのは、ムスリムに対する理解が日本社会全体で深まることよりも、その人が所属する会社や組織において決定権を持つ人の理解が得られるかどうかだろう。

ムスリムとしての自分を「ポジティブに語る」心がけが大事
 最後に、会社の理解を得るために、ムスリムの側に何ができるのかについて考える。

 この連載にたびたび登場してもらっている日本人ムスリムの大久保賢さんは現在、埼玉県にある一ノ割モスクでイマームを務めている。以前はシステムエンジニア(SE)として、複数の企業で働いていた。

 エレクトロニクスや通信、保険や金融と、多岐にわたる分野で、それぞれの業界の大手企業に顧客常駐型の派遣SEとして勤務した。業種も社風も異なる複数の企業で働き、ムスリムであることへの理解を得てきた。「派遣SEの契約はたいてい3カ月更新なんですよ。箸にも棒にもかからない人が来た場合、3カ月で契約を切れるんです。自分は3カ月で切られたことはないんで、まぁオッケーだったんでしょう」。

 こうした経験からたどり着いた結論は、ムスリムの側にコミュニケーション能力があれば、日本の会社の多くは、ムスリムの宗教的ニーズを認める素地があるということだ。

 大久保さんは、コミュニケーション能力の重要性を強調する。「これまで社会性が非常に欠けたような日本人ムスリムに何人も会いました。ごく普通の挨拶とか笑顔で話すとかができない人がいるんですね。そういう人はたぶん、自分の要望を聞いてもらうのは難しいと思います」。

 「会社ですから仕事をきちんとやるのは当たり前ですね。それプラス、上司とか周りの人たちに自分がムスリムであるということをきちんと、ポジティブに説明できるキャラクターであれば、恐らく問題ないと思います。ただ、いかにも引っ込み思案とか、『なんか変なヤツ』と思われると、難しいのでは」

 次回は、同じ職場のムスリムでも、インドネシアとの経済連携協定に基づき来日している看護師・介護福祉士候補者に焦点を当てる。





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2人目との結婚…「実はかなり難しい」

2人目との結婚…「実はかなり難しい」
一夫多妻が認められている理由と、その実現可能性
佐藤 兼永


今回は、イスラム教に基づいた一夫多妻制について考えてみたい。

 ムスリムの中には、「イスラム教は一夫多妻を認めていない」という解釈に立つ人たちがいる。しかし、このコラムでは、この立場には立ち入らない、イスラム法学で伝統的に認められてきた一夫多妻制をどう理解するかを主題とする。

イスラム教において、結婚は契約
 まず、ムスリムが一夫多妻制の根拠の1つとして引用するコーランの一節を紹介しよう。

もしおまえたちが孤児を公正に扱いかねることを心配するなら、気に入った女を2人なり3人なり、あるいは4人なり娶れ。もし妻を公平に扱いかねることを心配するなら、1人だけを、あるいは自分の右手が所有するものを娶っておけ。いずれにも偏しないためには、これがもっともふさわしい。

--コーラン第4章第3節--

 前回、イスラム法学を学んだ前野直樹さんの解説を紹介した。一夫多妻制は「扶養面での平等を条件とした必要時の社会救済策」というものだ。

 前野さんは、結婚できる女性の数をイスラム教が4人までに制限したことも見逃せないと指摘する。「それまでは何人でも『あり』だったということですね。それを4人までとした。さらに平等という条件を大前提とした」

 つまり、戦争未亡人たちと彼女らの子供たちを救済するために、神はムハマンドに一夫多妻は認める啓示を与えた。この啓示は、それ以前のように無制限に妻を持つことを認めたわけではない。 

 一方、前野さんはこう加える――人数制限と扶養面の平等という2つの条件を守る限り、戦争未亡人の救済以外の目的でも一夫多妻は認められる。イスラム法では一夫多妻制を広い意味での社会救済策と捉えるからだ。

 また、夫が2人目以降の妻を娶ることに対して、1番目の妻は拒否する権利がある。イスラム教における結婚とは、互いの権利と義務を規定する契約関係だという。「無断で2人目と結婚された。我慢できないのであれば、離婚も選択肢の1つです。それは宗教を踏まえて考えても正しいやり方です」(前野さん)

 もう1つの選択肢は、「最初に妻となる人が『どうしても2人目は受け入れられない』と思うならば、結婚する時にあらかじめ、『2人目を娶ってはならない』」(前野さん)と婚姻の契約条件に加えておくことだ。

妾100人と一夫多妻は別物
 一ノ割モスクのイマーム(導師)である大久保賢さんは、イスラム教が4人までの女性との結婚を認めていることを「一夫多妻制」と呼ぶことに批判的だ。

 「これって、けっこう大事ですよ。『一夫多妻制』って言うと、男性が女性を自分の好きなようにしていい感じがあるじゃないですか」しかしコーランの記述からも分かるように「王様が100人の妾を持つとか、そういうのとはだいぶ違うイメージです」(大久保さん)

 彼は、もしイスラム教の在り方についての詳しい説明を抜きに、一夫多妻制について知りたいって言う人がいたら、その質問には答えたくないと言う。「私はその人に明快に納得がいくように説明する自信はない」。なぜなら一夫多妻制に興味を持つ人の多くは、イスラム教が一夫多妻を認める理由を本当に知りたいとは思っていないと考えるからだ。「一夫多妻制について質問する人は下世話な興味本位ですよね」(大久保さん)



大久保さんはまた、ほとんどのムスリムにとって、一夫多妻制は自分の生活とは直接関係のない「他人事」で、「それがイスラムのすべてじゃない」と言う。「『2人目との結婚なんてもうけっこう』という感じです。だってイスラムにおける結婚って責任を伴いますから」。

 大久保さんはさらに、ムスリムでない日本人が抱く一夫多妻制のイメージの背後には、「ムスリムが奥さんを虐げている」といった誤った理解があると考える。

一夫多妻制は“男性差別”かもしれない
 日本人ムスリムであり、東京外語大学博士後期課程でイスラム思想を専攻する松山洋平さんは、一人の男性が複数の女性と結婚すること自体が女性差別だという意見に再考を促す。

 「一夫多妻制が女性差別だという考えに、個人的には疑問があります。『複数の女性が1人の男性を所有してる』という見方もできるじゃないですか。見方を変えれば『一人の男性を使い回しにしてる』って理解することもできるわけです。今は男尊女卑の社会で、女性の社会的地位が低い。こういう世界で一夫多妻制を考えたら、女性差別だと思うかもしれない。けれども、本当に男女の権利が平等か、あるいは女性の権利が上っていう社会を想定したときに、『一夫多妻』は全然違う見え方をすると思うんです。『そんな、1人の男性を物みたいに所有して。これは男性への差別だ』と言う人が出てもおかしくない」

 松山さんは「一夫多妻制の名の下に、女性の権利をないがしろにする。もしくは、ドメスティックバイオレンスが起こったりするのは問題だと思います」とも語る。一夫多妻の衣を被った女性の人権侵害がある事実を否定しているわけではない。しかし、人権侵害の原因を一夫多妻という結婚制度に求めることは間違いだと考える。

 そして、次の問を投げかける。「一夫多妻制に満足して実践している人がいるとしたら、『それを批判するっていう根拠はどこにあるの?』っていうように思いますね」

 実際、日本人ムスリムでも、一夫多妻でうまくいっているケースはあると多くのムスリムが指摘する。

 ある日本人女性から聞いた話を例に挙げよう。彼女の知人も日本人ムスリムの女性で、スカーフを被り、家の外でも礼拝することに強いこだわりを持っていた。そのため1人目の夫との離婚後も、夫の会社で働いていた。恐らく他に彼女のスカーフと礼拝を認めてくれる働き口を探したが見つからなかったのだろう。彼女は自分をきちんと扶養してくれる相手を捜すことにして、何人ものムスリムとお見合いをした。そして「この人なら」と思う既婚の男性と出会った。彼なら一夫多妻の平等の条件も守る努力をしてくれるだろうと考えて結婚し、その後問題なく暮らしているという。

 ここで疑問が生じるかもしれない。たとえ当事者全員の同意が得られていても、これでは重婚にならないだろうか? 日本だけでなく、ムスリムが多数を占める国においても、トルコのように複数の女性との結婚を国の法律が禁じているところがある。そうした場合の対応策は、1人目とは在住国の法律に基づく結婚をし、もう1人とはイスラム教で二カーフと呼ばれる「宗教婚」だけを行う、というものだ。

“一夫多妻”どころか、エジプト社会はかかあ天下
 世界的に見て、ムスリムの結婚のほとんどは一夫一妻だ。

 それは当然だろう。イスラム教の結婚は、妻の扶養義務を夫に課す。1人の奥さんを扶養することすらも大変だと言う声もある。松山さんは自身の結婚をこう語る。

 「そもそも1人の女性を娶るハードルもすごく高いんです。例えば、私は車も持ってないですし家政婦さんも雇ってない。ですから、たぶん古典的なイスラム法に則れば、妻が『離婚する』と言えば離婚が成立すると思うんですよ。必要な物資を調達してないので」

 大久保さんが語るエジプトの“かかあ天下” な夫婦関係は、アフガニスタンなどで虐げられている女性の姿が、ムスリム社会全体に一般化できないことを表している。




「エジプト人はみんな、結婚する時はハッピー、ハッピー。だけど、年を取るともう、奥さんの後ろにこう(背中を丸めるながら)くっついて歩くんですよ。(エジプトの奥さんは)強いんだって。アラブ女性は強いけどエジプト人は典型的だと聞いたことがある」

 この話を、温厚な日本人ムスリムと最近結婚したエジプト人の留学生に確認すると、彼女は「残念ながらその通りです」と答えた。

一夫多妻は、たいていの場合、離婚してしまう
 イスラム教における一夫多妻制は、「誰でも参加できますよ」と言っておきながら「2時間10分を切れるならば」という自己申告の条件がつくマラソンのようなものかもしれない。条件を満たす人がいないわけではない。しかし大半の人は、自分には参加資格がないという事実を知っている。

 インドネシア政府の国費留学生として、慶応義塾大学大学院の博士課程に在籍するメタ・アストゥティさんは旦那さんとの間に2人の子供がいる。

 メタさんによると、最近はインドネシアも経済的に豊かになり、2人目の奥さんと結婚するお金持ちが増えてきたという。彼女の身内にも一夫多妻の家族がいる。そのメタさんが語る一夫多妻の現実は次のようなものだ。

 「2人以上奥さんいても、普通は離婚してしまう。私の旦那のおじさんの奥さんは、何人くらいいたかな? 6人はいたかもしれない。私の旦那さんのお母さんは1番目の奥さんですね。彼女もやっぱり離婚」

 補足をすると、イスラム教では「同時に」4人までの女性と結婚できる。またメタさんによるとインドネシアでは国の法律で、2人目との結婚には最初の奥さんの許可が義務付けられているという。彼女の義理のおじに6人の妻がいたと言うのは、2人以上と結婚している状態を繰り返し、通算で6人という意味だ。

 彼女の一夫多妻制に対する思いは複雑だ。まず何より、イスラム教の教えとしてあるものだから否定したくない。そして、そのような教えがあるのは、社会的役割があるからだと考えている。コーランが規定するように男性が複数の妻を平等に扱うことは、「『ゼロ』は言えないですけれども、普通はできない」ことも否定しない理由の1つだ。つまり、認められているけれど、実際に正しく実践できる人はほとんどいない制度だから肯定する。

 メタさんは旦那さんに「2人目と結婚したくないのか?」と尋ねたことがあると言う。 彼女は「一夫多妻を正しく実践することの難しさを理解している」夫を信頼している。一方、もし本当に困っている女性がいて、自分の夫と結婚することで彼女の状況が改善するならば、結婚を認めてもよいかもしれない、と考えている。

 「もしうちの旦那さんが2人目の奥さんと結婚する許可が欲しいと言ったらば、私は許可しますよ。でも彼は絶対できないですよ。『あなた1人だけでもこんなに難しい。もうあと1人奥さんがいたら、私困るよ』って言ってます」

 メタさんはそう語ると、楽しそうに笑った。





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先進国の援助、中国の進出が「アフリカの今」を形作る

先進国の援助、中国の進出が「アフリカの今」を形作る
内発的でない民主化と工業化なき経済成長をどう克服するか
武内 進一


アフリカと言えば、ルワンダやソマリアなどの内戦に代表される「民族紛争」を思い浮かべる人は少なくないだろう。しかし、21世紀に入って一部の紛争を除いて、多くは収束の方向にある。

 では、今後のアフリカは政治的・経済的な安定が見込めるのか――。アフリカの状況を、植民地支配からの独立で現れた国家と社会的変容という視点からの分析で2009年のサントリー学芸賞に選ばれた『現代アフリカの紛争と国家-ポストコロニアル家産制国家とルワンダ・ジェノサイド』の著者、武内進一・国際協力機構(JICA)研究所上席研究員にアフリカの政治情勢と経済環境の今についてまとめてもらった。

 ワールドカップ、希少鉱物資源、海賊問題・・・。昨今、アフリカに関する記事がしばしば新聞の一面を飾るようになった。岡田克也外相は、5月の連休中の訪問先としてアフリカを選び、普天間問題への影響を懸念する他党からの批判に対して、「アフリカ訪問を非常に軽く言うような発想には強く抗議したい」と反論した。

 アフリカはもはや、暇な政治家が物見遊山で出かけるところではなくなった。そこはむしろ、日本外交にとって、政策上の課題が山積するフロンティアである。

 資源に牽引された高い経済成長など明るい話題の一方で、ソマリア沖の海賊に象徴されるように、アフリカに様々な問題が伏在していることもまた事実である。1日1ドル未満で生活する貧困人口の半減など、国連が定めた「ミレニアム開発目標」の進展が最も遅れているのはアフリカだし、一時に比べて数が減ったとはいえ武力紛争が続く地域もある。そこでは、貧困と紛争の連鎖が明瞭に存在する。

 以下では、今日のアフリカを理解するために、やや時間軸を長く取り、近年の変化とその要因について考えてみたい。それによって、これから先アフリカがどこに向かうのか、我々がどう対応すべきなのかが見えてくるだろう。なお、本稿の議論は、主としてサハラ砂漠以南のいわゆるブラックアフリカ諸国を対象とし、「アフリカ」と述べる際はその地域を念頭に置いている。


冷戦終結が大きな転機になった

 今日のアフリカを考えるうえで、分かりやすい出発点となるのは冷戦終結である。冷戦が終わった後、アフリカ諸国は3つの大きな変化を経験した。

 第1に、民主化である。1980年代までのアフリカでは、大半の国が一党独裁や軍政など権威主義体制下にあった。しかし、冷戦終結とともに、こうした国々が続々と多党制を導入して民主化を遂げた。一党制を公式に掲げる国は、1990年代半ばにはアフリカから消滅している。政治体制の変化が劇的に進展したのである。

 第2の変化は、武力紛争の多発である。ルワンダ、ソマリア、リベリア、シエラレオネ、コンゴ民主共和国など、1990年代のアフリカでは深刻な紛争が多発し、人的、物的に甚大な被害を生んだ。ただし、2000年代に入る頃から多くの紛争が収束に向かい、今日なお深刻な武力紛争が継続しているのはソマリアやスーダンなどに限定されている。

 第3に、経済成長である。アフリカ経済は、1970年代半ばから90年代半ばまで長期的な停滞を経験した。図1に、アフリカ諸国の一人当たりGDP(国内総生産)の平均値を示す。20年にわたる経済の停滞が明らかだが、1990年代半ばからこの傾向が変化し、マクロ経済が成長を開始したことが分かる。この時期以降、赤道ギニアやアンゴラなど石油輸出をテコに高成長を遂げる国々が現れ、2000年代のアフリカ諸国は総じて好景気に沸いた。



こうした変化は、何によってもたらされたのだろうか。冷戦終結後の急激な民主化(一党制から多党制への変化)の原因として、最も重要なのは、先進国の援助政策の変化であった。

 冷戦期においては、東西両陣営とも、新興独立国を自らの陣営に囲い込む目的で援助を利用した。そこでは、被援助国の内政にはあまり関心が払われなかった。極論すれば、いくら汚職がひどくても、人権侵害がなされていても、自分たちの陣営に留まる限り、その政権には報酬として援助が与えられたのである。桁外れの汚職や人権侵害が絶えず指摘されながら、「中部アフリカにおける共産主義への砦」として西側諸国に支援され、30年以上にわたって政権を維持したザイール(現コンゴ民主共和国)のモブツ政権はその典型である。

 しかし、東側陣営が消滅すると、こうした戦略的配慮の必要性がなくなり、西側先進国は援助政策を変化させた。汚職や人権抑圧が蔓延する国家への援助は国内的な説明責任が果たせないとして、援助国は被援助国に対し、統治のあり方を改善するよう求め始めたのである。こうした文脈で、援助に当たって「グッド・ガバナンス(良き統治)」が要求され、「民主化しない国には援助を与えない」方針が打ち出された。

 この援助政策の転換は、長期的な経済停滞に喘ぐアフリカ諸国に甚大な影響をもたらした。長期的な経済危機は民間資金を逃避させ、アフリカ諸国は流入する資金の多くをODA(政府開発援助)など公的資金に依存していた。こうした状況下で、西側先進国は「民主化」を援助の条件としたのだが、「民主化」とは具体的に言えば一党制廃止と多党制導入を意味した。このため、1990年代初頭のアフリカで、一党制から多党制への雪崩現象が起こったのである。

 この動きは、従って、内発的な民主化ではなかった。困窮したアフリカ諸国が資金欲しさに多党制を導入したのであり、だからこそ、それが政治的混乱を助長することも少なくなかった。

 民主化が直接的に紛争をもたらしたわけではない。東西冷戦の中で維持されてきた国家統治のあり方が、冷戦終結に伴う国際環境の変化によって立ちゆかなくなり、国家権力をめぐる争いから武力紛争に陥る例が多発したわけである。1990年代にアフリカで頻発した紛争は、従来の国家統治システムが内側から瓦解する過程であった。


民主化や経済成長は進むが・・・

 一方、近年のアフリカ諸国に経済成長をもたらした要因として重要なのは、資源輸出と新興国需要である。資源として特に重要なのは石油で、1990年代以降、伝統的な石油産出地域であるギニア湾沿岸地域に加えて、アフリカ大陸の内陸部でも新たな油田が開発された。これによって、赤道ギニアやアンゴラなどが原油生産量を急増させたほか、ガーナ、チャド、スーダンなど新たな産油国が誕生した。

 資源開発が進展した背景には、新興国、特に中国の資源需要がある。急速な経済成長を遂げた中国は、自国の旺盛な資源需要に対応するために、発展途上国での資源開発を推進している。アフリカもその対象の一つで、アンゴラやスーダンでの石油開発がよく知られている。中国は自国の資源需要に押し出される形でアフリカに進出しており、資源開発の後発国であるだけに、もっぱら開発コストの高い地域で活動している。

 中国は、アフリカ諸国に安価な工業品を輸出し、石油をはじめとする鉱物資源を輸入するという貿易構造の中で、急激に取引高を拡大した。アフリカ諸国でビジネスに従事する中国人、中国でビジネスを行うアフリカ人の数は、いずれも急増している。東アフリカのハブ空港である、エチオピアの首都アジスアベバやケニアの首都ナイロビは、中国との間で毎日2~3本の直行便が運行し、中国人やアフリカ人のビジネスパーソンが多数行き来している。

 冷戦終結後のアフリカ諸国は、民主化や経済成長の側面で大きな変化を遂げた。その一方で、変わっていないことも多い。

 第1に、多党制導入という意味での民主化は進んでも、ガバナンスの悪さは相変わらずである。ガバナンスにはいくつかの指標があるが、政治的自由度、治安の安定、法の支配、政府機構の能力や効率性、汚職の抑制などが代表的なものである。アフリカ諸国のガバナンス指標は、近年改善傾向にあるものの、いずれの指標についても他の発展途上国と比較して著しく低い。



この点にも関連するが、武力紛争の数が減少したとはいえ、紛争後の平和構築が順調に進んでいるわけではない。政府機構が脆弱であったり、汚職が蔓延していたり、抑圧的な統治であったりと、紛争経験国の復興は、ほとんどの場合、何らかの問題を抱えている。1990年代のアフリカにおける武力紛争頻発の背景として、それ以前の国家統治のあり方が重要な意味を持つことは先述した通りだが、アフリカ諸国の国家統治のあり方は、今日なお深刻な問題を孕んでいる。

 第2に、高い経済成長を遂げたとはいえ、アフリカ諸国の製造業は依然として脆弱である。図2は、アフリカ諸国の部門別GDP寄与率の推移を示す。この間、農業のGDP寄与率は一貫して低下し、2000年代に入って鉱業・製造業(industry)部門の寄与率を下回るようになった。一方、製造業(manufacture)部門単独のGDP寄与率はこの40年間横ばいである。近年の鉱業・製造業部門の拡大は、明らかに鉱業部門の成長によっている。


つまり、近年のアフリカ諸国の高成長は、基本的に鉱物資源をはじめとする一次産品に牽引されたものなのである。南アフリカなど一握りの例外を除けば、依然として製造業は育たず、工業化の課題は依然解決されていない。製造業が発展しなければ雇用は拡大しない。現在のアフリカの経済成長は、従って、貧富の格差を顕著に拡大させている。

 アフリカの経済成長は続くのだろうか。本稿で説明した成長の要因を考えれば、今後も経済成長が続く条件は十二分にある。

 1990年代半ば以降アフリカ経済に成長をもたらしたのは石油などの資源輸出であり、その背景には中国をはじめとする新興国の成長と資源需要の逼迫がある。世界金融危機の影響にも左右されるが、新興国の経済成長は当面続くと見てよいだろう。新興国の成長が持続すれば、アフリカの資源に対する需要も維持され、アフリカの経済成長も続くと考えられる。


政治的安定の確保が課題

 むしろ問題は、経済成長の前提条件となる政治的安定を維持できるかどうかである。政治状況が不安定であれば、当然ながら投資は流入せず、経済成長は達成できない。この点に関しては、不安要素が少なくない。特に問題となるのは、ガバナンスと経済格差である。

 先に述べたように、アフリカ諸国のガバナンスは、依然として多くの問題を孕んでいる。政府の非効率や汚職、政治的自由の抑圧、特定集団の特権化といった現象が、多くの国で報告されている。

 また、産業構造の転換を伴わない経済成長は、都市と農村、正規労働者と非正規労働者や農民との間の格差を顕著に拡大させている。石油生産地帯である南部デルタ地域の住民が反乱軍を組織し、石油企業従業員の誘拐を繰り返すナイジェリアの例を挙げるまでもなく、こうした状況が政治不安につながる危険性は高い。

 こう考えると、今後アフリカが経済発展を遂げ、貧困問題を解決するためには、政治的安定をいかに確保するかが決定的に重要だと言える。そのために、ガバナンスの改善や極端な経済格差の是正(貧困層対策)が中核的な課題となる。これらの課題は、経済成長が続いている時こそ、取り組まれるべきである。

 日本がアフリカとの関係を深めることは望ましいし、また避けられない。その際、アフリカが抱える負の側面をどう管理し、それにどう対処するのかについて、官民を問わず考える必要がある。日本の政府、企業、市民社会は、アフリカのカウンターパートや国際社会とどう連携してこの問題に当たるのか、構想を鍛えるべきである。

 アフリカが抱える諸問題は今やグローバルな課題であり、援助機関や慈善家だけがその対策を考えればよいという時代ではなくなった。ダボス会議でアフリカの貧困が議論され、NGO(非政府組織)が主体となってダルフール(スーダン)の紛争を考えるためのチャリティコンサートが開催されている。今後アフリカに関わる者は誰も、そうした問題にどのような立場からどう貢献するのか、構想を問われることになろう。





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儲けたいなら、アフリカに投資すべき

儲けたいなら、アフリカに投資すべき
“アフリカのノーベル賞”創始者、モ・イブラヒム氏に聞く
大竹 剛


企業がアフリカ市場への参入する際のリスク要因は、数多くある。政治情勢や治安、法整備、経済状況、教育や健康などの生活水準…。これらのリスク要因、言い換えれば、その国の統治品質(ガバナンス)の良し悪しが、ビジネスの成否を大きく左右することになる。

 このアフリカ諸国のガバナンスを指数化し、統治品質の改善に大きな貢献をした統治者を表彰しているのが、モ・イブラヒム財団である。モ・イブラヒム財団が授与するモ・イブラヒム賞は、「アフリカのノーベル賞」とも言われ、選考委員には国連前総長のコフィ・アナン氏などが名を連ねる。

 財団を設立したモ・イブラヒム氏は、スーダン出身の英国人。アフリカで携帯電話事業者セルテル・インターナショナルを1998年に創業し、2005年に34億ドル(約3000億円)で売却して富を築いた。その私財を財団につぎ込み、アフリカのガバナンス改善のために世界中を飛び回り精力的に活動している。イブラヒム氏に、現在のアフリカのガバナンス、ならびにアフリカでビジネスを成功させる秘訣を聞いた。



まず、モ・イブラヒム財団を設立した理由を改めて教えてください。

イブラヒム 今、アフリカ諸国が直面している最も大きな問題が、ガバナンス(統治)です。私たちは、アフリカは極めて豊かな大陸だと信じています。人口はわずか9億5000万人ですが、天然資源はおそらく、世界の4分の1くらいを埋蔵している。

 しかし、その一方でアフリカ人は貧しい。なぜ、豊かな大陸に住む人々が貧しいのか。唯一の答えは、ガバナンスが悪いからです。アフリカは、もっとガバナンスを改善しなければなりません。開発や法、透明性、民主主義、そして教育や健康など人間開発にもっと注意を払うべきです。私たちは、ガバナンスの水準を改善することに貢献したいと考え、財団を設立しました。

 ―― 今のアフリカのガバナンスで、最も問題となっているのは何でしょうか。

 たくさんありますが、まず1つは、汚職の問題です。多くのアフリカの政治リーダーは、汚職はしていませんし、私腹を肥やすために他人を犠牲にするようなことはしません。しかし、一部には、確実に汚職は存在します。

 そして2つ目が、賄賂をもらう側があれば、それを渡す側があるということです。それは、企業です。

 アフリカの汚職を批判する声を多く聞きますが、その多くは賄賂を渡す企業への批判が欠如している。汚職には常に2つの側面があり、一方だけを批判するのは公正ではありません。政府のガバナンスを改善するのはもちろんですが、同時に企業のガバナンスも改善しないと、汚職の悪を根絶することはできません。

南アフリカの順位は5位、それは悪くない
2006年に財団を設立して以来、アフリカのガバナンスは改善していますか。

 改善しています。私たちは53カ国のガバナンスを、85種類の指標を使って厳密に分析しています。その結果は、毎年、少しずつですが、確実に良くなっています。重要なことは、この傾向を持続させることです。政府がどのように統治しているかという情報は、市民が声を上げる重要な手助けになります。政治家や政党に対してガバナンスを改善するように、プレッシャーをかけることが必要です。



ワールドカップを開催する南アフリカは、イブラヒム指数では第5位です。南アフリカの現状をどのように評価しますか。

 5位は悪くはないでしょう。それぞれの国は、固有の歴史と問題を抱えています。例えば1位のモーリシャスは、安定した民主主義の長い歴史があります。小さな国で対立も限定的で、協調を取りやすい。一方、南アフリカは、ひどい遺産を引き継いでいます。アパルトヘイト時代からの貧困やタウンシップ(アパルトヘイト時代に定められた黒人居住区)などがその例です。それを踏まえれば、5位は悪くない。

犯罪率の高さは残念だが、ワールドカップは成功する
南アフリカはアフリカ最大の経済大国です。ガバナンスでも、他のアフリカ諸国の模範になるべきではないでしょうか。

 南アフリカは、人口ではアフリカ最大ではありませんが、確かに経済ではトップです。その点でいえば、南アフリカは、アフリカ、特に南部アフリカの成長のエンジンになることが重要でしょう。

 この国の民主主義は問題ありませんし、裁判所もうまく機能している。報道の自由もあります。ただし、経済成長の恩恵を受けられない人たちが残されていることも事実で、貧困をいかに解決していくのかは大きな課題です。

 しかし、ワールドカップは成功すると確信しています。W杯は、南アフリカだけではなく、アフリカに大勢の人の注目を集める、素晴らしい機会です。アフリカは、ひどい場所ではない、素晴らしい場所だと、多くの人が認識してくれることを期待しています。

多くの人が、南アフリカ、特にヨハネスブルクは危険な場所だと考えています。企業でも、この国に参入を躊躇するところがあるほどです。

 残念ながら、南アフリカ、特にヨハネスブルクの犯罪は多い。その背景には失業率の高さもあり、政府にとっては大きな課題です。

 南アフリカが5位に甘んじている要因の1つは、残念ながらこの犯罪率の高さです。しかし、南アフリカの多くの場所が安全なこともまた、事実です。ヨハネスブルクでも、暗闇を1人で歩かないとか、油断しないとか、そういう注意をしていれば問題ありません。

メディアが作り出した「アフリカ=貧困と暴力」
他のアフリカ諸国についても、暴力と貧困のイメージが世界中に広がっています。

 アフリカは一般的に、魅力的な投資先です。ほとんどのアフリカ諸国は民主主義がありますし、安全です。投資にも間口を開いています。しかし、残念なことに、多くの人がアフリカに対して非常に悪い印象を描いている。

 例えば、日本のテレビを見てください。何分、何秒、アフリカのことがニュースで流れますか? もし1分、時間を与えられたら、テレビ局はソマリアの海賊やダルフール紛争を取り上げるでしょう。それだけです。その結果、アフリカと言えば、暴力と貧困のイメージだけが残る。しかし、ソマリアがどこか、ダルフールがどこかを、どれだけ多くの人が知っているでしょうか。ほとんど、アフリカの実態が伝わっていないのが現実なのです。

 ほかの大陸でも、いくつかの地域や国は問題を抱えているでしょう。しかし、それでその大陸のすべてを語ることはない。私たちは、アフリカについても公正な報道をしてほしいと願っています。アフリカにも問題はあります。しかし、同じようにサクセスストーリーも平和な人々も、素晴らしい音楽もたくさんある。アフリカはとても楽しい場所なのに、それがメディアで伝わらない。

寄付はアスピリン、投資促進こそ重要
ワールドカップは、アフリカの新しいイメージを作り出す触媒になるでしょうか。

 そう願っています。非政府組織(NGO)など多くの組織が、貧困から子供や母親を救うために先進国で寄付を募っている。その写真を、皆さんも数多く目にすることでしょう。しかし、私たちは寄付をするだけで、その国へ行かず、そこに投資しない。それで良いのでしょうか。私は、もっと投資を促進すべきだと考えています。それは、寄付より重要なことです。



寄付は、(痛みを一時的に止める)アスピリンみたいなものです。一方、投資は社会を根本的に変える。日本の読者の皆さんには、過去のオリンピックやスポーツイベントで、アフリカ人が極めて健康で、誰よりも早く走り、誰よりも高く跳んでいたことを、ぜひ思い出してほしい。

 アフリカ人は、ごく普通の人間だと考えてみてください。ただ、偶然に黒く生まれただけ。それだけです。そう考えさえすれば、暴力や貧困に塗り固められた恐ろしい印象は、いつの日か、消え去ると期待しています。

ニーズも顧客も従業員も土地もある
なぜ、アフリカへの投資は魅力的なのですか。もう少し詳しく説明してください。

 アフリカは、投資に飢えています。道路、発電所などのインフラはいたるところで足りません。農業にも、大きな可能性があります。現状では農業の活動は低調です。土地も水もたくさんあるのに、適切な種と技術とノウハウがない。そのため、土地の生産性は極めて低い。それはつまり、これから飛躍的に発展する可能性があるということです。

 サービスもすべて足りません。銀行などの金融サービスは、まだまだやるべきことがたくさんあります。社会はそうしたサービスを渇望している。私が携帯電話会社を立ち上げた時、アフリカの人々は販売店の前で列をなしました。携帯電話の在庫が尽きるのではないかと心配したほどです。アフリカには、ニーズがあります。顧客も従業員もいます。土地もあります。素晴らしいビジネスチャンスだと思いませんか。

認識と現実のギャップが生むビジネスチャンス
携帯電話会社「セルテル」を立ち上げた経験から、アフリカでビジネスを成功させるには、何を理解すべきか、教えてください。

 1つは、アフリカに対する認識と現実との大きなギャップです。これが、大きなビジネスチャンスになるということを理解してください。アフリカは事業をするのが難しい場所だと思われている。しかし現実はそれほど悪くはない。私が事業を立ち上げた時は、海外のライバルはほとんど参入してきませんでした。なぜなら、彼らはアフリカの現実を知らなかったからです。

 2つ目が、賄賂を払わずにも、ビジネスはできるということです。私は、事業を始めたその日から、賄賂は一切払ないと明確に決断しました。簡単なことでした。「3万ドル以上の小切手を切る場合、会社の経営メンバーのサインが必要」と言うルールを決めたのです。その結果、誰も私の会社の社長やマネージャーに、賄賂を要求することができなくなった。

 3つ目が、アフリカの経済成長予測は、常に現実を大きく下回ってきたということです。これは、事業計画を練る上では大きな問題ですが、見方を変えれば非常に良いことです。

日本人よ、勇気を持て
しかし、日本企業の多くは、まだアフリカは遠いと考えています。アフリカを市場として、投資先として考える際、何を重視して参入の是非を判断すべきでしょうか。

 私は、日本のビジネスマンにもっと、勇気を持ってほしい。なぜ、中国人がアフリカ全土で活躍しているのか考えてみてください。中国人ビジネスマンは、日本人ビジネスマンほど恵まれていません。中国の“資本主義”はまだ生まれてから日が浅いのに、なぜ、これほどアフリカに展開しているのか。それは、中国政府が後押ししているという理由だけでは説明が付かないはずです。

 日本の企業やビジネスマンは、少し保守的すぎるのではないでしょうか。彼らは、自分たちが安全だと思うことしかやりたがらない。かつて、日本が米国に投資した時のことを思い出してください。ニューヨークのど真ん中のビルや伝統的な映画会社など、誰が見ても米国の象徴的な資産しか投資しようとしなかった。しかし、その投資の結果は散々だったでしょう。

 どうか、想像力をたくましくして、いくらか勇気を振り絞ってください。それは、日本人にとって挑戦でしょう。しかし、もし、お金儲けがしたいのであれば、アフリカに来るべきです。米国の不動産を買っても、もう金儲けはできないのですから。




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アフリカで見た教育への希望とそれが失われた日本

アフリカで見た教育への希望とそれが失われた日本
認識ギャップを埋めない限り、「就職難」は解消しない
御立 尚資  


以前、ケニアに行く機会を得た。国連のWFP(世界食糧計画)のお手伝いをしている関係で、食糧援助の現場に行くことになり、ソマリアとの国境にある難民キャンプ、干ばつが続いて家畜を失った遊牧民の仮居住地、そして首都ナイロビにある世界最大のスラム、キベラの3カ所を回った。

 その際に感じたエイズをはじめとする感染症の問題については、一度このコラムの前身(関連記事:アフリカで見たもの)でも触れたので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれない。

 今回は、今振り返ってみても、ケニアで見聞きしたことの中で一番ガツンと衝撃を受けたことについて書いてみたい。極度の貧困や生命の危機に囲まれた状況での、「次世代の将来をつくるもの」への熱情ということについてである。


援助物資よりも教育を望んだケニアの人々

 ケニアで回った3カ所それぞれで、同じ質問をしてみた。食糧援助の現場なので、「食糧以外に、どのような援助を期待しますか」という内容だ。

 日本人からのこういう質問に対して、もし読者の皆さんが次のような立場に置かれていたら、どういう答えをすると思われるだろうか。

・ 内戦で国を追われ、数百キロメートルにもわたる距離を、ゲリラや強盗の襲撃の恐怖に襲われながら逃げてきた難民
・ 生活の糧であり、さまざまな文化の中核でもある家畜たちを相次ぐ干ばつですべて失ってしまった遊牧民
・ エイズで両親をなくし、思春期の10代から小学生までの4人だけで、段ボールとほんの少しの板切れを組み合わせたスラム街の家で暮らす子供たち

 その場にいた私は、大変恥ずかしながら、「衣類や医薬を欲しがるかな、あるいは日本人ということで、何か家電製品が欲しいと言うのだろうか」と浅薄なことを考えていた。

 ところが、返ってきた答えは、3カ所とも同じ。何と「教育を援助してほしい」というのだ。

 難民キャンプでは、次のような答えが返ってきた。

 「自分たちの国は、自分たちの世代ではきっと復興に至らないだろう。ただ、ここにいる子供たち、ここでこれから生まれてくる子供たちの世代が、平和になった国に帰れるようになった際に、ソマリアの復興に役に立ち、かつ暮らし向きの良い生活ができるようにしたい」

 「ついては、難民キャンプの中での初等教育だけでは不足なので、中学、高校を作る、あるいは外の学校に優秀な子だけでも行けるように奨学金制度を作る、といったことを、是非お願いしたい」

 自らは読み書きのできない遊牧民は、次のように語った。

 「遊牧をしている限りは、学問というのはあまり意味があるとは思えない。(部族のしきたりや遊牧の中での伝承を通じて)必要なことは自然と覚えられるから。ただ、村に定住するとなると、子供たちは、村の子供たち同様に、読み書きができ、数字を操れるようにならないと、対等に暮らしていくことができない。仮住まいの定住地ではあるが、何とか、小学校の教育を提供してもらえるよう助けてもらえないか」

 スラムに住む4人兄弟の2番目の男の子は、中学レベルの学校で優秀な成績を上げているらしいのだが、自分もエイズに感染しており、既に腹水がたまって大きくお腹がふくれている。

 そういう状況で、「自分は勉強が好きなので、上の学校に行きたい。そして、キベラ(スラム地区)に住んでいる、自分と同じような境遇の子供たちを教える教師になりたい」と夢を語り、はにかみながら、それを助けてもらえるとうれしいと答えた。

 正直なところ、私自身には、とても考えが及ばなかったような答えが、3回続けて返ってきた。

 「今現在の飢餓すれすれの状況から抜け出すのに、食糧を援助してくださって本当にありがとう。でも、これからのことを考えると、『教育』を助けてもらえることが、もっともありがたい」

 要約してしまえば、こういうことだろうが、同様の問いを先進国で貧困に苦しんでおられる方に投げかけてみたら、どういうふうに返ってくるだろう。逆に、さまざまな支援活動に携わる側に聞いてみたら、どうだろうか。

 就業訓練の話はきっと出てくるような気がするし、何人かの方は「子供たちの教育」に触れられるだろう。ただ、ケニアで聞いたような「初等・中等教育さえきちんと受けられれば、子供たちの将来は、きっと今より良いものになるはずだ」という、未来に向けた強い気持ち、教育に対する深い信念と熱意、というものは、同じレベルでは返ってこないような気がしてならない。



いったん、ちょっと引いて考えてみよう。

 初等・中等教育が行きわたり、軽工業から少しずつ工業化が始まる。それに伴って、工業社会型の流通業やサービス業も整備されていく。

 社会経済全体の生産性が上がり始め、ある段階から労働者の賃金も上がっていき、工業社会の勤労層が、中流階級の仲間入りをし、社会の中で大きな割合を占めるようになる。

 産業革命以降、多くの国の発展は、上記のようなパターンをたどってきた。

 もちろん、国の経営の巧拙、資源価格の乱高下や戦争といった大きな変化、さらには「地の利」や、恐らく「運」という存在もあって、うまくいった国、それほどでもない国、いろいろとある。だが、大きく言ってしまえば、「初等・中等教育充実→工業化→中流社会形成」というのが典型パターンだといってもよいだろう。

 ケニアのように、このパターンに入りかけている国、あるいは昨今大きく伸びてきている大部分の新興国のように、このパターンの真っ只中にいる国。こういった国では、教育に対する信仰的なまでの信頼と熱意が、素直かつ自然に醸成されやすい気がする。1970年代ぐらいまでの日本も同様だったかもしれない。


先進国になると教育が成長に直結しなくなる

 ところが、1人当たりGDPが3 万ドル(約246万円)あたりを超え、いわゆる先進国の仲間入りをした後は、事はそう単純ではない。初等・中等教育の義務化は何年も前に終わっており、また、生活レベルを向上させ、国を発展させるということと、教育投資をすることとが、目に見えるような形でリンクしにくくなる。

 イノベーションを生み、企業競争力を上げるうえで、高等教育の重要性が高まってくるが、一方で、中流社会の中での進学ブームは、高等教育自体をマス化してしまう。

 大学卒の希少性が次第に失われ、また、(大学教育が企業ニーズに合わせる形でよほどの自己変革を行わない限り)大学卒というだけでは、過去には大学卒だから就くことができていた職種に就けなくなってくる。

 今、日本で起こっていることは、こういった工業化・中流化を数十年前に達成してしまった国ならではの、さまざまなミスマッチの顕在化だろうと思える。

 これが最も顕著に表れているのが、現在の大学生の「就職難」だと思う。就職氷河期論が叫ばれて久しいし、実際に正社員の職に就けない大卒者も多数存在して、社会問題化していることはご存知の通りである。

 文部科学省の学校基本調査を見ると、大学卒業者の就職率は、いわゆる失われた20年の間に、大きく低下している。


しかし、気をつけて見てみると、同じ期間の大学卒業者数は、大きく増加していることに気づかされる。


この2つの数字を掛け算してみれば明らかなのだが、この間の大卒就職者数は30万人台で増減しているものの、実は大きな変化を見せていない。

 確かに、年によって「大卒採用数」あるいは「大卒募集数」はある程度変化する(従って、卒業年による運不運は一定程度存在する)ものの、そのこと自体よりも、1990年から2005年までの間に、大学卒業者数が15万人、3割以上も増えたことの方が、就職難により大きなインパクトを与えているといってもよいだろう。

 少子化と言われつつも、大学の定員大幅増、進学率の高まりから、大学卒業者数が増え続けた。このため、求職者数と採用者数のミスマッチが起こっているのだ。


さらに、卒業生本人も、その親も、過去の大卒者の就職先・職種のイメージを引きずり、大企業のホワイトカラー中心の就職を当然視している可能性が高く、それがパーセプション(認識)上のミスマッチを引き起こしていそうだ。

 リクルートワークス研究所の調査によれば、2011年3月卒の大学生に対する民間企業の求人総数は、58万2000人。これに対して、民間企業への就職希望者は、45万6000人。求人総数の方が求職者よりも多いらしい。

 一方、企業の規模別の求人倍率を見てみると、従業員数5000人以上の大企業では0.47、1000人以上では0.63と、求職者数の方が上回る狭き門なのだが、300人未満の中小企業では、これが4.41となり、圧倒的な売り手市場になる。

 大卒者が、企業規模や職種にこだわらず、中小企業も含めて、職を求めれば、全体としては、募集人数の方が卒業生より多い。にもかかわらず、皆が限られた大企業を志望するため、就職難が起こっているということだろう。

 大変ドライな物言いになってしまって恐縮だが、親の世代と同じ感覚で、「大卒の就職は、大企業のホワイトカラー」という思い込みがある限り、景気の良し悪しにかかわらず、現在のような「就職難」は解消しない。

 大卒者全般を取ってみれば、中小企業や現場の仕事も含めて、もう少し幅広くキャリア形成を考えていかない限り、出口がないのではなかろうか。

 もっと言えば、これは大学生の側だけでなく、企業の側にも、パーセプションギャップ解消の責任があるように思える。人口減少、デフレ経済という状況の中でも、従来型の大卒求人は何とか同程度続けてきているものの、どこかではっきりと「従来のような大学を出た新卒の仕事、というだけでは、大部分の大学卒業者に職を提供することはできない」ということを率直に伝えることが必要だろう。


企業はほしい人材について本音を語るべき

 これは、単純に、「現在の大卒の多くは、過去の高卒者の仕事についてもらうしかない」ということではない。これからグローバル展開の度合いをさらに強めていく多くの企業は、海外人材をどんどん採用していくことになろう。しかし、必要な能力を有する日本人大学卒業者がもっと多く出てくれば、彼ら、彼女らを(日本人の採用数を増やしても)採用する企業は数多いはずだ。

 例えば、議論してみると、本音では次のように思っている企業がいくつも存在する。

 「新興国への事業拡大、あるいはイノベーション拡充によって、企業の成長、そして日本人の雇用維持は可能である。逆説的に言えば、こういう方法でしか、日本の経済と社会を元気にしていくやり方はない」

 「従って、学歴にかかわらず、異文化・言語について深く学んだ人材、あるいは異分野の人とチームで働きイノベーションに貢献できる人材を強く求めるので、それに向けて、(大学在学中に)自らを鍛えてきてほしい」

 「教育によって、自らの生活を向上し、さらにより良い社会・国づくりにも役立つ」という熱気を取り戻すためにも、企業側はこういった本音を語っていき、大学教育、そして大学生の自らのキャリア設計を進化させていく手助けをすることも不可欠だと考える。

 ケニアやその他の新興国の「教育」信仰は、一面うらやましいところがある。しかし、彼らから見れば、もっとうらやましいレベルまで社会・経済を進歩させてきた我々は、現在の日本および日本企業のニーズに応じた形で、新たな「より良い社会づくりにつながる教育への熱意」を、意思をもって構築していく時期にある。

 「昔は良かった」とか「最近の大学生は…」といった出口のない堂々巡りの教育論が目立つけれども、もっと前向きの「新しい日本の教育論」を戦わせ、そして何よりも、学ぶ内容、自らのパーセプションの両面のギャップから、暗い気持ちになりがちな学生の皆さんを元気づけていく方が、建設的だと思っている。

 読者の皆さんは、どうお考えになるだろうか?





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我々が勝つか、コレラが勝つか

我々が勝つか、コレラが勝つか
患者は去年の10倍、飢餓地帯での大流行と戦う
國井 修


ソマリアで今、コレラが流行している。
コレラとはコレラ菌に汚染された水や飲食物を食べたり飲んだりして感染する伝染病だ。病原菌を口に入った後、早い場合は数時間で腹部に不快感を感じ、突然下痢と嘔吐が始まり、その症状がどんどん悪化していく。重症化すると血圧が低下してショックに至り、治療をしなければ死亡率が5割以上、時に8割に及ぶこともある。

コレラの発祥はガンジス川下流と言われるが、感染力が強いため、ヒトやモノの移動と共に拡がり、これまで7回もの世界的大流行があった。日本にも江戸時代や明治時代に何度か大流行し、1度に10万人以上が死亡したとの記録もある。「コロリと死んでしまう」ことから「ころり(虎狼痢)」と呼ばれ、人々から恐れられていた。

コレラで怖いのは大量の下痢とそれによる脱水。米のとぎ汁のような下痢がひどい時には成人で1日20リットル以上、重さにして20キログラム以上が体内から排泄されることもある。あまりに下痢の頻度と量が多いので、ベッドのお尻の部分に穴を開け、下にバケツを置いて下痢便を垂れ流しにする「コレラベッド」というのがある。

重症患者を救うには、体外に急速に流出する大量の水分や電解質を、点滴ではなく滝のように輸液を流しながら補わなければならない。1日に1人当たり何十本もの輸液を必要とすることもある。放置すればどんなに恐ろしい病気か想像がつくだろう。



大学生時代、インド旅行中にコレラにかかった

私も大学生時代、インドに旅行中にコレラにかかったことがある。水を飲んでも飲んでも下から出ていくので、ベッドで横たわることができず、便器を抱えながら数日もがき苦しんだ。病院に行こうにも、体力がなくなり歩けなくなった。自分の顔を鏡に映すと、極度の脱水症状で目が落ち窪み、頬がこけていた。コレラになった時の症状として医学の教科書に書いてあった「コレラ顔貌」そのものであった。

実は、ソマリアでのコレラ発生は今に始まったことではない。流行(epidemic)と呼ばなくとも毎年のように散発(sporadic)し、常在(endemic)している場所もある。

しかし、今年の流行はいつもと違う。モガディシュ最大の病院で調査すると、コレラの疑いのある急性水様性下痢症の患者数は今年になって8カ月間で5500例以上。旱魃が悪化してから急増し、去年の同じ週に比べると約10倍に増加。その約7割が5歳未満の子どもであった。

この大流行の背景には次の3つの要因が考えられる。

つは栄養失調。実を言うと、コレラ菌を飲み込んでも、栄養状態、健康状態がよければ無症状または軽い下痢で済んでしまうことも多い。例えば1000個程度のコレラ菌が侵入しても、胃酸が正常に分泌していれば菌は胃で死滅してしまい、小腸で定着・増殖して毒素を出すことはない。

しかし、病原菌が栄養失調の体内に入ると、胃酸の分泌、さらに免疫力が低下しているので、病原菌は増殖しやすく、大量の毒素を出して、重症化し、死亡する確率も高くなる。研究によると重度の栄養失調の場合、健常人に比べて下痢症による死亡率が12倍に上昇するとの報告もある。


2つ目はコレラが常在する不衛生で過密した環境への人口の移動である。

飢饉のため、多くの遊牧民・農民が自らの土地を離れ、生活の糧や援助を求めて都会や避難民キャンプに逃げ込んだ。首都モガディシュとその近隣アフゴエ回廊には推定で100万~200万人がいると推定されている。旱魃以前から、戦闘や自然災害によって70万人以上がテントや廃墟になった建物などで避難生活をしていたが、旱魃が進んだ3カ月間でモガディシュだけでも4万人以上が地方から流入したと言われている。

この多くが、コレラがほとんど流行してなかった辺地から、コレラが常在または流行している都会や街への移動だった。菌に対する免疫がない人々は罹患しやすく、また重症化しやすい。また、都会の避難民キャンプは人口が極めて密集し、衛生環境は極めて悪い。このキャンプ自体がコレラ流行の巣窟になっている可能性もある。

近年では、2010年1月に発生したハイチの大地震が、コレラによる大惨事の引き金を引いてしまった。ハイチではここ半世紀以上コレラが発生していなかった。つまりコレラに対する免疫を持っていない人々がほとんどであった。ここに、皮肉にも地震の緊急支援によって海外から病原菌が持ち込まれた可能性がある。それが瞬く間に、不衛生で過密な避難民キャンプ、スラムなどを通じて広がり、約1年間で40万人以上が感染、うち6000人近くが死亡する大惨事に発展した。


寄贈粉ミルクが死亡率を高める皮肉

3つ目の流行の要因は、人々の衛生・保健に対する知識と行動、さらに医療サービスである。

コレラに汚染された水でも、煮沸、塩素消毒し、トイレの後、食事の前に手洗いを励行すれば、コレラの感染流行はかなり抑えられる。また、生後6カ月までの完全母乳育児、2歳までの母乳育児の継続もコレラへの感染また重症化の予防にもつながる。しかしながら、このような衛生・保健に対する正しい知識は人々にはほとんどなく、不適切な衛生・保健行動がはびこっている。

特に、ソマリアでは乳幼児に汚ない水を飲ませることが日常的に行われている。病原菌に対する免疫力のない赤ちゃんにわざわざ病原菌を飲ませているようなものである。

さらに、旱魃、飢餓と聞いて、子どもに粉ミルクを寄付する援助団体や企業、国があり、実際に避難民キャンプなどで配布されることがある。よかれと思って寄贈された粉ミルクだが、実は子どもの死亡をかえって上昇させてしまうことが研究で明らかになっている。

その理由として、特に緊急時には安全な水が入手しにくいこと、水や哺乳瓶などを煮沸消毒する燃料が入手しにくいこと、ミルクが残ってそれを常温で数時間放置すると病原菌が繁殖してしまうこと、粉ミルクには母乳に含まれるような感染症を予防する免疫成分などが含まれないこと、などが挙げられる。支援した粉ミルクが子どもを死なせているとはなんとも皮肉である。

医療サービスが不足していることも問題で、子どもがコレラになっても、医療機関まで半日以上歩かなければならない、医療機関に行っても輸液や抗生物質などの医薬品がない、医療スタッフが十分な訓練を受けていない、などによりコレラの流行が拡大し、死亡率が高まってしまうのである。

このようなコレラの流行を放置しておいたらどうなるか。




コレラの伝播力は半端ではなく、特に免疫力のない人々の間で流行すると瞬く間に広がる。これまで世界で7回の大流行が確認されているが、1991年1月に南米ペルーに上陸したコレラは1カ月以内に1300キロメートル以上に拡大した。今回も放置しておくと、難民の流出と共にソマリア国境を越え、エチオピア、ケニア、ジブチなど隣国に拡がる恐れがある。実際に、ケニア側、エチオピア側のソマリア難民キャンプではコレラ様の急性水様性下痢を示すケースも増えてきた。

ではどうすればいいのか。現在、以下のような対策を行っている。


空路・陸路・海路総動員、医薬品を届ける

まずはコレラ対策の具体的な戦略と行動計画が必要だ。どのくらいのコレラ患者が発生するかは誰も予測できない。しかし、各地で爆発的流行が起こってからでは医薬品の調達などが間に合わず、多くの死者を出してしまう可能性もある。

過去の国内外でのコレラ流行、リスクの高い地域への人口の移動などを鑑みて、どの地域でどのくらいの患者が発生するか、その中で重症患者、入院を必要とする患者は何人で、外来で治療できるのは何人か。これらの患者を治療するには、どの地域にどのくらいのコレラ治療センター、経口補液治療コーナーなどを設置する必要があり、輸液、抗生物質、経口補液剤、亜鉛剤などをどれくらい調達・配布する必要があるかなどを想定し、計画的に備えなければならない。

具体的には、2007年にソマリア国内で発生した6万7000人のコレラ流行や、ハイチでの大流行の疫学データ、さらに今回の栄養失調率などのデータを基に、流行リスクの高い場所ではコレラ患者発生率(Attack rate)を2~3%、流行リスクが中程度の場所では0.5%とし、ソマリア全体で10万人のコレラ患者を想定した。

うち、35%は輸液を中心とした入院治療、ほかは外来で主に経口補液剤や亜鉛剤を中心とした治療が必要として調達すべき医薬品や治療センター・ユニットを算出した。例えば、避難民の多いモガディシュには重症患者を対象としたコレラ治療センターを10カ所以上、軽症・中等度の患者を対象とした経口補液治療ユニットを100カ所以上設置する計画を立てた。

特にユニセフは大部分の現地の医療機関およびNGO(非政府組織)から必須医薬品の供与を期待されているので、この計算を基に物資を調達し、各医療機関およびNGOへの配送計画を立てなければならない。戦闘地域や武装勢力が占拠していて輸送が困難な場所もあるが、空路・陸路・海路などあらゆる手段で、地域リーダーなどの協力も得ながら、末端の医療機関に届けているところである。


内戦で多くの医師や看護師が海外に流出

次に重要なのが、コレラ治療に対するガイドライン作り、さらにそれに沿った医療スタッフ、地域保健員のトレーニング。栄養失調を合併したコレラの治療についてはこれまでいいガイドラインがなかったため、ハイチで活躍した専門家などと連絡を取り合いながら、栄養専門家と医療専門家との間で議論しながら作成した。

特に、重度の栄養失調の子どもではコレラによる脱水の診断を誤ることがある。栄養失調では電解質バランスが崩れ、循環機能も落ちているため、必要以上の輸液を行うことが返って命取りになることもある。適切に治療すれば100人のコレラ患者のうち99人を救うことができるのだが、不適切な治療によって死亡を増やしてしまうことになる。


ソマリアでは内戦を逃れて多くの医師や看護師が海外に流出してしまった。十分な教育を受けていないわずかな人材でこれまで医療サービスを支えてきた。この緊急事態でその数を急増させることはできないが、彼らにトレーニングをしっかり行うことで、コレラ患者の生存率を高めることはできる。

この医療者のトレーニングは我々の手だけでは足りないので、コレラの研究、治療、トレーニングで世界的に有名なバングラデシュ国際下痢性疾患研究センター(ICDDR,B)から専門家チームを招き、ソマリア国内で実践的な下痢症治療のトレーニングを実施した。


今、戦いの途中である

多くの機関・組織、そして主要なセクターが協力し合わなければコレラ大流行には対応できない。協力体制作りにも力を注いでいる。特に私が所属するUNICEF(国連児童基金)とWHO(世界保健機関)が中心となり、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)や様々な国際および現地NGOなどと毎週のように会合を開いて様々な形で協力・連携を強化している。

ここで重要なのは役割分担の明確化。例えば、UNHCRは難民キャンプでの患者数や死亡数などの情報収集と対策に関する全体調整、WHOは感染症情報収集と分析、UNICEFは水・衛生対策、医薬品の調達・供給、病院・診療所スタッフのトレーニング、NGOは病院や避難民キャンプでのコレラ治療センターの立ち上げなど、それぞれの強みを生かした役割分担を行っている。

多くの地元のNGO、地域リーダー、地域組織の協力も必要だ。我々は50以上のNGOと提携し、また地域保健員の協力も得ながら、コレラの治療のみならず、水・衛生対策を含めた予防活動も行っている。旱魃の影響を受け、約400万人が住むソマリア南部全体でコレラ流行のリスクはあるが、特にリスクの高い150万人には早急に安全な水を送り届けなければならない。

飢餓地帯でのコレラ流行。我々が勝つか、コレラが勝つか。

世界にはコレラに勝てる知識も技術も薬も資金もある。それをソマリアに振り分けられるかどうかが鍵。

今、戦いの真っ只中である。



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2011年12月17日土曜日

子どもと水、どちらを捨てるのか

(ちょっと過去の内容だけど。)

子どもと水、どちらを捨てるのか
ソマリアの大飢饉、食糧があっても餓死する実態
國井 修

私は今、7月中旬に国連が「飢餓(Famine)」宣言をしたソマリアで働いています。正確に言うと、ケニアのナイロビにある国連児童基金(UNICEF)ソマリア支援センターを拠点に、月の約半分をソマリア国内各地に出張しながら、ソマリア国内で展開している保健・栄養・水衛生支援事業の統括・管理をしています。
「飢餓」という言葉から多くの人は「食糧がないために人々が飢えて死亡している」状態を想像するのではないでしょうか。

実際に、今回の「飢餓」が宣言されたソマリア南部の2地域では多くの人々が飢えて死亡しています。「飢餓」を宣言する基準として、(1)栄養摂取が1人1日あたり2100キロカロリー未満、(2)5歳未満の子どもの中等度以上の栄養不良割合が30%以上、(3)死亡が1日1万人あたり2人以上、という3つの条件があります。

ソマリアでは2100キロカロリーどころか500キロカロリーにも満たない人はたくさんいます。子どもの栄養不良も50%以上のところ、子どもの死亡も「危機的」といわれる基準の5倍以上のところもあります。

ただし、(1)の条件は「食糧がない」ためではなく、「食糧があっても入手できない」「食糧があっても栄養不良が発生し、死亡数が増加する」という状況があることを知ってほしいと思います。




約20年間にわたる内戦、無政府状態

もともと荒涼とした半砂漠が延々と続くソマリアは雨が少なく、大部分の地域で年間降水量は平均500ミリメートル以下、中には100ミリメートル以下という場所もあります。雨季は4~6月と10~12月に2回。これらが人々の農業・遊牧による営みを支えています。

四季を通じて水が流れる川は、エチオピア高原から流れてくるジュバ川とシェベレ川のみで、ほかは雨季に短期間、時に短時間だけ水が流れる水無し川です。僻地の診療所などを訪れるとき、未舗装の道、4輪駆動車でこのような水無し川を渡るのですが、雨季に突然スコールのような雨が降ると、川に水があふれて渡れなくなり、数時間待っているとまた水が引けて渡れるようになります。水が引かずに夜を明かした人もいるようですが…。
旱魃自体は今に始まったことではなく、慢性的な旱魃はソマリア各地で見られていました。しかし、ここ1~2年の旱魃はひどく、それによって農業、遊牧への影響が強く現れました。降雨量の低下については、人口や家畜数の増加により、潅木の過伐採、過放牧などが進み、砂漠化が進んでいることも影響しているとも考えられています。

この旱魃で確かに農作物が枯れ、家畜が死に、6割以上が遊牧生活、その他も零細農業を営んでいる人々の生活は厳しくなりました。しかし、多くの国ではそれに対して備蓄された食糧やその輸入で急場をしのぐことができます。

しかし、この国では食糧の計画的な備蓄も輸入も、約20年間にわたる内戦、無政府状態のため機能せず、近年の石油の高騰による物価上昇も含めて、ソマリア国内に食料があっても値段が上昇し続け、多くの人々に買えなくなってしまいました。

例えば、主食の1つ「ソルガム」の価格が3倍に跳ね上がったところもあります。遊牧民は旱魃で生活の糧であるラクダやヤギを失い、食べるものがないため、市場に行っても高くて買えず、労働で稼ごうにも職がないという状態なのです。
こんな国には国際社会から支援がきます。ユニセフもこの飢餓が発生するずっと前から支援してきました。しかし、ここで20年以上続く内戦・内紛で、援助を送り届けることが困難な場所があります。

その結果がこのような飢饉です。


男性は農業や放牧のため村に残る

7月20日に国連がソマリア南部2地域の飢饉を宣言しましたが、8月には5地域に広がっています。

私も首都モガデシュ、ケニア、エチオピアの国境地帯など、様々な地域を国連の小型機で訪れ、多くのエピソードを聞きました。家畜をすべて失い、このままでは餓死すると思い、着の身着のままで逃げてきた一家。300キロメートル以上の道のりをひたすら歩き続け、10人いた子どもは栄養失調や下痢症などで、1人また1人と死に、途上で4人が死にました。

またある母親は、片手に子ども、もう片手に水容器を抱えながら2週間以上歩き続けたました。疲労と飢えで力尽き、どちらかを捨てる覚悟をし、悩んだあげくに水容器を捨てましたが、途中、水のみ場もなく、子どもは脱水で死亡してしまいました。

これら国内避難民また難民の8割以上は子どもと女性。男性はどうしたのかと聞くと、雨が降ったらすぐに農業や放牧ができるように村に残っている、または、武装勢力に徴兵されないように逃げた、徴兵された、内戦で殺された、などの答えが返ってきました。女性と子どもだけで荒野を何日も歩くことの危険性。脆弱な立場の彼女らは暴行や搾取の対象となりやすく、実際に痛ましい話を聞きました。




必要なことは何か

これに対して必要なことは何でしょう。まずは命を救うための食料、水、医療です。特に、ユニセフでは、井戸掘り、浄水剤配布、トイレ設置などにより安全な水と衛生を提供すること、治療および補助栄養食品により栄養失調を改善すること、ワクチンや経口補液を含む必須医薬品を提供し、地元のNGOなどと協力しながら医療サービスを子どもたちに届けること、などを優先して支援しています。

現在、ソマリア国内には370万人、全人口の半数が支援を必要とし、うち半分は子どもです。栄養失調は45万人、うち19万人には直ぐに治療栄養を開始しなければ命を落とす危険性があります。緊急かつ大規模なオペレーションが求められています。

これまで20機以上のチャーター便を含み、空路・海路・陸路あらゆる手段で必要物資をソマリア国内に送り込み、子ども20万人以上の治療栄養、200万人への予防接種、180万人への安全な水の確保などを進めています。これは様々な支援団体と連携・協力していかなければ短期間に実施することは困難です。

今、国際社会が力を合わせ、この難題に取り組む時だと思っています。




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日本の炊飯器

日本に帰った時に、購入してきた炊飯器。
(お母さん、ありがとう♪)



ご飯はもちろんですが、これで、スープも作ります。


ほ~んと、吹きこぼれもないし、鍋が焦げることもない。
日本の電化製品は最高ですね。

コレはちゃんと変圧器を通して使用。
海外使用の炊飯器はほとんどが中国用になっていたので、普通の日本用の炊飯器を買いました。
大事に使います。
ケニアでは、貴重ですから。
ありがたや~。





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