2011年12月21日水曜日

Landry Machine と奮闘

朝から、張り切って、洗濯しようと、ベッドのシーツ取替え、念願の洗濯機を稼動させるが、なんかおかしい。水がね、洗剤入れているところから、もれている。全くドラムの中に水は行ってないの。。。。ってことで、SAMSUNGのケニアでの連絡先をネットで調べてますが、無く。
南アはなんか、しっかりしてるけど、ケニアは?????
ん~~~~。なんとなく見つけた、下請け会社みたいなとこの電話番号はゲット。
旦那に電話してしっかり説明してもらおうっと。
複雑な故障の英語での説明には説明が持てないので。恥

やっと、洗濯機が設置できるアパートに引っ越せたとおもったら、また一難です。
は~~~~。
めんどくさい。
日本なら、電化製品のメーカーが快く対応して、すぐ修理着てもらえるけど、ナイロビでは、なかなか難しい?
SamsungのHPにあったメーカー電話番号に電話したら、なんか国際電話で、300Kshほどの残高の電話チャージでは、電話繋がらなかった。

洗濯機、働いておくれ~、私の手洗い洗濯から開放させて~。
手、ガサガサやねん!!!



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2011年12月20日火曜日

THE ABHORRENT COST OF RUNNING THE WORLD'S DEMOCRACIES.

my friend was a newspaper today......LOL

THE ABHORRENT COST OF RUNNING THE WORLD'S DEMOCRACIES.
1. Lee Hsien Loong,Prime Minister of Singapore $2.8m(Annual Salaty)
2.Donald Tsang, Chief Exective of Hong Kong $523.000
... 3.Barack Obama, US President $400,000
4.Mwai Kibaki, President of Kenya $280,000
5.Raila Odinga, Kenyan Primier $270,000
6.nicalas Sarkozy, france President $345,000
7.Stephen Harper, Prime Minister of Canada $296,000
8.Mary McAleese,Prime Minister of Ireland in 2011 $287,000
9.Jullia Gllard, Prime Minister of Australia $286,000
10.Angela Merkel,Chancellor of Germany $283,000
11.Naohito Kan, Frmaer Prime minister of Japan $273,000
12.Jacob Zuma, South African President $272,000

Mr.kibaki and Mr.dinga..........you guys are taking TOOOOOOOOO MUCH SARALY from the TAX of people of Keny a.
In Kenya, there are so many problems and needs money for fix......then what is that?

Crazy.




まだ世界から支援を必要としている国ケニア、(発展途上国と途上国の間?)問題が一杯あるケニア、お金が必要な国ケニア、
なのに、ケニアの大統領とケニアの首相が世界で(年収価格)4番目と5番目にランクインしている。オバマさんの次が、キバキって????
どんだけ、給料泥棒やねん!

どう考えても、おかしい、この給料明細。
こんなに豊かな給料を払える国、ケニアに、海外から支援が必要なのか?
頭いいのか、かなりアホなんか、分からん。

お金に貪欲すぎる。
ケニアのTOPがこれだったら、そりゃ、ケニア国民も、それらをお手本にするよね。

早く、この国の政府、総入れ替えしたらいいのに。

基本的な考えが、国がらみで間違ってるよ。

ケニア国民も、良くこれで、黙っているよね。。。。。。。





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2011年12月19日月曜日

ソマリアの軍閥「クラン」の驚くべき結束力

ソマリアの軍閥「クラン」の驚くべき結束力
ソマリアに続く“武器街道”を行く(3)
吉田鈴香


3月20日から4月3日まで、筆者はケニアのナイロビ、アラブ首長国連邦のドバイ、そしてジブチの首都ジブチを訪れた。最近問題になっているソマリア海賊が現れた背景、ソマリアの武器の動きと国際社会との関係、そしてソマリアの経済と治安についてなどを取材するためである。



 前回の原稿は、筆者がこの取材旅行で最初に訪れたナイロビのホテルで書いたものだ。ソマリア人コミュニティーを車の中から見た後のことである。この時、彼らの異質性に非常に驚き、ソマリア人を知るためにぜひ彼らに直接会わねば…と願っていたのだが、意外なところで出会いがあった。ナイロビにある、某国際機関である。

 その日、ケニアの国際機関で武器取り締まり関連の職に就く人を訪ねた筆者が、ソマリアの武器取引などについて押しかけ面談をしていたところ、髪にスカーフを巻いた女性が部屋に勢いよく飛び込んできた。


あるソマリア女性との出会い

 面談相手はその女性に「スズカがソマリアに関心を持っていて、ジブチにも行くんだ。手伝ってやってくれ」と短く言った。女性は筆者をちらりと見て、「あとで寄ってね」と言いおいて立ち去った。

 訪ねていくと、女性は挨拶抜きで、筆者の旅の目的、専門的背景、記事の論点を矢継ぎ早に聞いた。筆者が、ソマリア海賊や武器取引についての取材で来た旨を答えると、「OK」と言うや、携帯電話で3人のソマリア人に電話をかけた。近隣国在住のソマリア人ビジネスマン2人と、ソマリアの新首相オマル・アブディラシド・アリ・シェルマルケの側近の3人だ。

 彼らに、「今度、スズカという日本の専門家が連絡するから、必ず応援してやってね」という調子だ。彼女の大きな濁声(だみごえ)にいささか気押されていると、次には筆者に向き直ってさらに大声を出した。

 「スズカ、あなたは私がこれまで会ったジャーナリストの中で一番いいね。でも、英語で書かないといつまでたってもマイナーだよ」。痛い忠告である。

 「あの、名前を聞いてもいいかしら」と言うと、彼女はがははと笑い、「そういえば、名乗ってなかったわね」と、名刺を渡してくれた。聞いたこともない音感の名前だ。どちらの国籍?と聞くと、「ソマリア人よ。でも今は違う国籍になった」と、短く答えた。これが、ソマリア人との初めての出会いであった。

 「国籍など大したことではない。世界のどこに行ってもソマリア人コミュニティーがあり、ソマリア人のまま暮らせるのだから」

 彼女の何気ない一言は、その後多くのソマリア人と接するたびに、彼らが共通して持っている特徴だと感じるに至った。彼女のたっての願いで、名前も所属先も明らかにできないが、以後の取材は、この出会いのおかげで、霧が晴れるように進んだのは言うまでもない。


利益もリスクも共有する強烈な集団、ソマリア人社会

 紹介されたソマリア人ビジネスマンとは、ドバイとジブチで会った。それぞれ、ドバイのソマリ・ビジネス・コミュニティーのリーダーであるモハメド・ジルデ氏と、ジブチのソマリ・ビジネス・コミュニティーのアドバイザーであるアブドゥラーマン・オスマン氏である。

 彼らを通じて、現地で根を張るソマリア人たちと会合を持つことができた。その時に筆者が名乗ると、既に知っているふうであった。すでに人相書きが回覧されていたか?と思ったほどである。

 彼らはあらゆる産業に従事している集合体だとは言ったが、特に海運業、ロジスティック業を名乗ることが多い。皆体格がよく、英語が上手だ。ソマリアの軍閥「クラン」の経済力がよく表れている。

 彼らと話をしていて分かったことは、海外のソマリア人コミュニティーが強力な結束力を持っているということだった。ソマリア人コミュニティーでは、「自分だけがうまい汁を吸おう」と思う人間はまずいない。皆でビジネスチャンスとリスクを分け合う。

 全世界のソマリア人の仲介と調整に当たるのは、ソマリ・ビジネス&インベストメント・カウンシル(SBIC)事務局長である。「ソマリア国内での仕事も、外国での仕事も、全部SBICが取り持つ」と、事務局長が言うと、会員は皆うなずくのであった


そう、全員、クランの出身である。違うクランの出身なのに仲がよいのか、と半ボケの質問をあえてすると、「ソマリア人は皆、どこかのクランに属している」との答えであった。

 こうして、海外のソマリア人コミュニティーでは、うまみも危険も分け合う「鉄の結束」を誇る者たちなのに、ソマリア国内ではなぜいさかいが絶えないのか。これについて、あるソマリア人は「資源の奪い合い」と答えた。

 「資源とは?」と筆者が聞くと、「コミュニティーを守るのが、クランの仕事だ。コミュニティーが必要な資源を、供給しなければいけないのだ」という、答えにならない返事が来た。

 コミュニティーが必要な資源――、筆者には心当たりがあった。食糧だ。

 今回ナイロビを訪問した時、国連世界食糧計画(WFP)ナイロビ事務所の報道官、ピーター・スメルドン氏に会った。彼の説明では、2007年から急激に活発化したソマリア海賊の横行と紛争の激化の背景には、明らかに食糧不足があると言う。

 食糧価格は2008年の前半で、2~4倍に跳ね上がっている。降雨量の低下と水不足、日照りが続き、異常気象だったという。「理由は気候変動ですか」とスメルドン氏に尋ねると、「いかにも」とのことだった。

 気候変動は、既に人間の暮らしを蝕んでいる。気候変動が資源の奪い合いを生み、紛争となり、政治衝突にまで発展したのが、2007年から翌年にかけて起きたケニアの騒乱だった。

 それを筆者に教えてくれたのは、国連環境計画(UNEP)でエネルギー・プログラムオフィサーをしていた博士だ


アフリカは、人口増加と旱魃によって慢性的に食料不足に陥っており、もともと余力がなかった。そこへ、気候変動によって異常発生した蚊を媒介に、東アフリカ一帯のリフト・バレーでは「リフト・バレー・フィーバー」という熱病が発生。そこを追われた土地なし農民が国境を越えて流民化し、食糧と空き地がある土地へと流れていく。

 しかし行った先では彼らは厄介者だ。土地、食料、労働の機会などの資源の奪い合い、殺し合いが始まる。今、その流れがケニアのみならず、東アフリカで起きているのだという。


気候変動、食糧不足、そして軍閥同士の争いへ

 2年前にケニアでそれが目立ったのは、民主主義国であるが故に、流民を票田と見なした一部の政治家が、流民の意図的な移住を進めたために、一挙に大規模な暴動へと発展したからだ。

 そういえば、リフト・バレー・フィーバーはソマリアでも発生していた。あの時のケニアと同じ背景が、ソマリアの内戦をあおっていたのだ。

 1991年から政府がないソマリアに、選挙はない。その代わり、軍閥がコミュニティーの人々の命を守る責務を果たしている。政府が政治を行い、社会の規範は軍閥が守るすみ分けがかつてはあったが、政府がなくなったことで政治的役割も軍閥が負うことになった。

 高騰した食糧を仕入れるには、手っ取り早く違法ビジネスをして現金を稼ぐか、食糧を奪うか、人間の数を減らして争奪戦の消耗を軽減するかという方法しかない。クラン同士の争いの一部は、ここに理由があったのだ。

 ソマリア国内では、食糧不足で苦しむ土地と、難民・避難民の流出地と、激しい戦いが続く土地は、ぴたりと重なる。南部と中部の一部である。

 内戦の激戦地は、首都モガディシオを含む南部と中部だ。そこは基本的に豊かな農地だったが、農作物が取れない。食糧不足と治安の著しい悪化で難民と避難民が続出する。

 身の危険にさらされるのは外国人に限らず、ソマリア人さえも拉致されたり身代金を要求されたりしている。

 今回の取材旅行の後半でジブチとソマリアの国境を訪ねた日、子供2人を含む10人の難民が、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の職員を待っていた。全員、南部の出身であった。


ケニア側の難民キャンプには、既に収容人数の3倍を超える難民が押し寄せているのは、前回書いた通りだ。

 「ケニア政府にキャンプ用の土地の借り入れを申し込んでいる。しかし、現地のコミュニティーからの反発が強く、ケニア政府は及び腰にならざるを得ない」とUNHCRナイロビの報道官エマニュエル・ニャベラ氏は言う。

 こうした難民向けの食糧を確保するためにWFPが出していた運搬船が、2年ほど前にはよくソマリア海賊のターゲットになっていた。現地の職員が殺されるなど悲惨なことが相次ぎ、去年からWFPはフランスに護衛を依頼した。2008年12月以来、フランスはアトランタ・ミッションと称して1年間の予定で護衛を始めた。

 ソマリア海賊とフランス船による護衛の効果などについては、次回に詳しくお伝えしよう。






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アフリカで見たもの

アフリカで見たもの
見落としてはならない社会のメガトレンド
御立 尚資

WFP(国連世界食糧計画)のお手伝いをしている関係で、アフリカに行ってきた。国連WFP協会の会長である丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長とご一緒に、ケニア東部の干ばつ被害地、ソマリア国境の難民キャンプなどで、緊急食料援助の現場を見せていただいたのだが、最も強く印象に残ったのは、ナイロビのスラムで暮らすAIDS(エイズ)に冒された子供たちだった。

 エイズを発症した両親が死んでしまうと、残された貧しい子供たちは次の日から食べていく術がない。周辺国やケニア国内の低開発地域から、チャンスを求めて大都市ナイロビのスラムにやって来た人たちの大部分は、その日暮らしだ。子供だけが取り残されたような場合、近所の貧しい人々が、乏しい中から何らかの食べ物を分け与えることが多いそうだが、当然それには限りがある。アフリカの中では比較的豊かなケニアでも、最底辺の人たちに対する福祉制度は不十分だ。


「教師になりたい」と答えたエイズ患者の少年

 親から受け継いでしまったHIV(エイズウイルス)とも闘っていかねばならないが、栄養状態の悪い子供たちは、たとえ薬をもらえる状況になっても、それを受けつける体力がなく、効果が得られない。孤児たちの多くは、生き延びるために犯罪に手を染めることになり、中にはエイズ発症への恐怖から自暴自棄になり、凶悪化していく者もいる。

 我々が訪ねた一家では、10歳から17~18歳の4人の少年少女が、わずか2畳ほどの、電気も水道もないバラックに住んでいた。全員がHIV保有者で、うち2人は治療が必要な状況にある。

 幸運なことに彼らは、WFPが協力しカトリック系の団体が運営している、貧困とエイズに苦しむ人たちを支援するプログラムに助けられた。1日の必要カロリーの半分程度とはいえ、WFPから提供される食料で栄養失調状態からは抜け出せたし、プログラムの一環で学校教育も受けている。近くエイズ治療を受けられる可能性も高いらしい。

 少年の1人に、「今望むものは」と尋ねたら、はにかみながら「学校にきちんと行って、将来は教師になりたい」と答えた。たとえ、親を失い、病魔に冒されていても、少なくとも彼らには、夢がある。


先進国企業にとっての感染症の意味

 ただし、推定人口100万人と言われるキベラ地区のスラムでは、その多くがHIV保有者であり、今後ものすごい勢いで孤児が増え続けていくことは間違いない。少なくとも、現段階でも、WFPやその他のNGO(非政府組織)の支援はほんの一部しかカバーできていないし、今後支援が届かない層は、拡大し続けるだろう。さらに、ケニアよりも状況が悪い国は、枚挙に暇がない。


干ばつ、内戦、政情不安といったマイナス条件に襲われ続けているアフリカの最貧国すべてで、エイズのもたらす社会コストが、将来にわたって拡大していくことは、ほぼ間違いない。労働人口の多くがエイズに冒されることで経済の成長力は大きく損なわれる。さらに、働き手が死んでしまった後に残された老人や孤児たちが、数百万人にも達するだろうと予想されている。

 これは、先進国とその企業にも、少なからぬ影響を与えよう。先述したように、支援の手が届かない孤児たちの多くは、犯罪に走らざるを得ない。進出している海外企業にとって、治安のさらなる悪化は、ビジネス拡大の足かせとなり、安全担保のコストと合わせて深刻な課題となる。社会に対する不満・不安を持つ層が増えるにつれ、既に難民や違法移民の大規模流出が始まっている。旧宗主国であるEU(欧州連合)各国にとっては、大変頭の痛い問題だ。また、この層は、テロリストが新たなメンバーを求める先でもあり、先進国の安全を脅かす大きな要因となる。

 アフリカに加えて、アジア、中南米でのエイズ増も考えると、この問題が、先進国や先進国企業にとって、将来大きなインパクトをもたらす可能性は極めて高いのだ。


病気が与える影響に対して意識が低い日本企業

 世界的な景気回復を受けて、最近将来の成長シナリオを考え、長期ビジョンを作成する企業が増えてきた。我々コンサルタントも、こういった長期ビジョンの作成に参画する機会が、欧米でも日本でもはっきりと増えている。

 将来を厳密に読むことは不可能でも、これから起きる可能性が高く、かつ、企業経営の将来像に大きなインパクトがありそうな事柄について、複数のシナリオを立て、自社ビジョンを考える前提とすることはできる。従って、政治・経済・社会のメガトレンドを考え、既に大きな変動の兆しが、ほの見えるものについて、シナリオを作っていくということになる。

 こういうお手伝いをする中で、欧米企業と日本企業で大きな違いがあることに気がついた。エイズやSARS(サーズ=重症急性呼吸器症候群)に代表されるディジーズ(病気)が与える影響について、欧米企業の多くは、非常にセンシティブで、必ずメガトレンドの中に含めて考えているが、たいていの日本企業は、この視点が欠落しているのだ。人口変動、技術革新、エネルギーや水などの資源の希少化、といった項目は、どの企業も共通して着目しているのだけれど、病気・疾患に関しては明らかに注目度に違いがある。


「コントロールできないから仕方がない」では済まされない

 日本では社会問題として耳目を集めてはいるものの、まだ経済、企業への影響が小さい、といった理由はあるのだろう。だが、グローバルなビジネスを長期に考えていくためには、これは避けて通れないメガトレンドの1つだ。エイズだけではなく、突然変異した病原菌やウィルスによる大規模な被害がいつでも起こり得るのは、サーズの事例でも明らかだろう。



競争相手がきちんとシナリオを考えているのであれば、「そういうコントロール不可能なことについて、考えていても仕方がない」というのでは済まされない。

 これから、長期ビジョンを作ろうと考えておられる経営者の方々は、病気というメガトレンドにも一考を払ってみてはいかがだろう。自社にとっては心配するような話ではない、となれば結構なことだし、もしもある地域でのビジネスに決定的な影響がありそうだ、となれば、リスクを踏まえたうえで、将来の自社の「ありたい姿」を考えることができる。


決定論的立場と関与論的立場のどちらを取るか

 もちろん、企業ができることは、エイズのような難病のインパクトを、受動的に予測すること(言い換えれば、ある事象は既にその発生が決定されたものであり、自分がそれに影響を与えることはできない、という決定論的立場を取ること)だけではない。

 企業とその構成員が、様々なやり方で、ディジーズインパクトを軽減させる活動に能動的に関与することは可能だ。個々の企業ができることには当然限界があるが、能動的な立場を取る企業(とその構成員)が増えれば増えるだけ、自らへのインパクトを小さくすること(自らを含む環境に働きかけることで、未来の絵姿に自ら影響を与えていく関与論的立場を取ること)ができる。

 例えば国連WFP協会では、企業のCSR(社会的責任)活動の中で、従業員を巻き込むプログラムを作り、それを通じてエイズの子供たちを含む食料提供に企業(と従業員)が参加できるようにしている(http://www.jawfp.org/)。もちろんWFP以外にも多種多様な団体が様々な活動を用意しているし、企業が直接ディジーズ対策の活動に参加することも可能だ。

 病気を含むメガトレンドを、将来ビジョン策定の中できちんと考えてみることに加え、自らがポジティブな影響を与え得るトレンドについては、CSR活動の一環として積極的関与をしていくことも、検討してみてはいかがだろうか





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人間の思惑に翻弄されるケニアの野生ゾウ

人間の思惑に翻弄されるケニアの野生ゾウ
乱獲かと思えば、次は過保護!?
藤田 宏之


ケニア中部のサンブル県周辺には、同国有数のゾウの生息地が広がっている。 「ナショナル ジオグラフィック日本版」9月号では、この道40年のゾウ研究者と行動を共にし、ゾウたちの雄大な姿をとらえた。

 物語は、英国の生物学者イアン・ダグラス=ハミルトンが、1頭のゾウに忍び寄ろうとしているシーンから始まる。

 相手は、年ごろを迎えた大きな若い雌で、恥ずかしがり屋だ。ゾウの名前はアン。ケニア北部の奥地にある、小高い丘の木立に半分身を隠して、家族と一緒にのんびりと若葉を食べていた。その首には頑丈な革の首輪がはめられていて、ちょうど肩のあたりに発信器がついている。


ダグラス=ハミルトンはこの発信器から出る信号を頼りに、アンの居場所を見つけ出した。小型のセスナ機が使えたのは途中までだ。後は背の高い草やアカシアの茂みをかきわけて、自分の足で進まなくてはならなかった。

 身をかがめたダグラス=ハミルトンは、風上に向かって前進し、アンまで30メートルという位置にまで接近していた。アンはひたすら葉っぱを食べている。彼の存在に気づいていないのか、はたまた関心がないのかは、見たところわからなかった。


 ゾウはときに危険な動物である。気難しいうえに興奮しやすく、身を守ろうとするあまりどう猛になる場合があるのだ。ゾウ研究の世界的な権威として40年ものキャリアがあるからこそできる技なので、素人は真似してゾウに近寄ったりしないほうがいい。彼が確認しようとしていたのは、研究の目的で付けたアンの首輪の状態だ。

 ケニア中部にあるサンブル国立保護区は、知られざる自然の宝庫だ。サンブルという名は、勇猛さで名を馳せた地元の牧畜民族に由来する。保護区の面積は168平方キロと他の自然保護区と比べると決して大きくはないが、その環境は実に変化に富んでいる。半乾燥地帯のサバンナや険しい山地、干上がった川床-。エワソ・ニイロ川の北岸にはアカシアとヤシの森が広がっている。舗装道路はなく、周囲には家畜を飼って生計を立てるサンブルの人々がちらほら暮らしている程度だ。

 サンブル保護区には数多くの野生生物が生息している。ライオン、ヒョウ、チーターはもちろん、グレビーシマウマやアミメキリン、ベイサオリックス、ジェレヌク(ウシ科の草食動物)もいる。鳥の種類も実に豊富だ。ソマリアダチョウやアフリカオオノガンなどの大型のものから、トサカムクドリ、テンニンチョウ、ライラックニシブッポウソウといった、美しい小鳥も生息している。



そんな動物たちの頂点に立つのがゾウだ。樹木の皮をはいだり、根こそぎ引き抜いたりすることでサバンナに木が増えすぎるのを防ぎ、生態系の維持に重要な役割を果たしている。ライオンを威嚇して追い払うこともできるが、最大の天敵は人間だ。ゾウは保護区を自由に出入りできるので、人間から身を守ろうと保護区内に逃げ込むこともある。


 この保護区があるサンブル県周辺には、ライキピアを含め3つの県がある。保護区のすぐ南には牧場や小麦畑、自然保護区、丘、小さな渓谷、シャンバ(家族経営の農園)、土地を囲うフェンスなどが点在する。特にライキピアでは、農地や放牧地、集落、野生生物の生息地が混在していて、色とりどりのモザイクのようだ。一方、サンブルでは、農園やフェンスに囲まれた土地はほとんどない。

 サンブルの人々は、農耕のような地道で新しい生活様式に背を向け、ヤギやウシを飼育する昔ながらの暮らしを守っている。若い男たちはビーズや羽根、シュカという真っ赤な布で派手に着飾り、先祖代々の宿敵たちとの戦いに明け暮れる。このように伝統を重視する人々が暮らすサンブルは、今のところライキピアで行われているような大規模な開墾を免れている。もともと耕作に適した土地や水が少ないことや、観光が収入源になるという意識が浸透してきたことも影響しているのだろう。


 サンブルとライキピアにあるゾウの生息地は合わせて2万8500平方キロほどにもなり、およそ5400頭のゾウが生息している。主に保護区の外で暮らすゾウの個体数としては、ケニアでも最大規模だ。これだけ多くのゾウが生息し、さらに年々増加を続けている背景としては、ゾウたちにとって生活しやすく、繁殖にも適した環境がある。


その一方、微妙で複雑な要素もある。さまざまな用途の土地が混在し、季節ごとに環境が変化するこの地域には、ゾウにとっての危険が潜む。それは、人間との衝突だ。ゾウが作物を荒らしたり家畜を襲ったりすることもあれば、人間を牙で刺したり、踏み殺すといった事故も起こる。

 もちろん、人間がゾウを射殺することもある。ケニアの人口も年に2%の割合で増加しているから、衝突は増えることはあっても、減る見込みはなさそうだ。

 私たちは何を守り、何を犠牲にしなければならないのだろう? ゾウの移動ルート、トウモロコシ畑、農地を切り開こうとする人々の権利の間に、どう折り合いをつければよいのだろうか。その決定を下す立場の人々に、科学的に裏づけされた詳細かつ有効な情報を迅速に提供することが、ダグラス=ハミルトンのような研究者たちの目標なのである。

 歴史的にみると、乱獲によって絶滅の危機に瀕した時期もあれば、逆に増加しすぎて問題になる時期もある。これまで、ゾウたちは、乱獲されたり、保護されたり、と人間の都合に運命を左右されてきている。共存共栄していく道筋はどこにあるのか?それは、研究者たちに共通する思いといえるだろう。




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「あらゆる違法がそこにある」ソマリア人コミュニティーを訪ねる

「あらゆる違法がそこにある」ソマリア人コミュニティーを訪ねる
ソマリアに続く“武器街道”を行く(2)
吉田鈴香


アフリカで最も民主主義が発達し、根づいている国の1つ、ケニア。筆者は今、そこに滞在している。国の北東部でソマリアと国境を接しているが、ソマリアとは国の体制が全く異なる。ケニアは人道、人権、民主主義を真に理解する開かれた国だ。その国に、ソマリア人のコミュニティーがあるという。

 筆者が出国する前、「ソマリア人コミュニティーに行ってくるといい」と助言をしてくれた人物がある。国際海事局(International Maritime Bureau)のディレクターだ。「クレンジング(資金洗浄)を含む、あらゆる違法がそこにはある」ということだ。


嫌悪感と警戒心でソマリア人を見つめるケニア国民

 「ソマリア人コミュニティーに行きたいので、連れて行ってくれませんか」

 現地で雇った運転手にそう告げると、彼は目を丸くした。「そこはEastleigh(イーストレイ)っていう地域だが、そこに何の用事がある?」といぶかしんだ。

 筆者は改めて今回の取材の目的を話し、協力を願った。その運転手というのは、筆者の友人である某国のセキュリティー関係者が「彼を雇うといい」と教えてくれた人である(ちなみに、某国のセキュリティー関係者とは、数日後にナイロビで落ち合うことになっている)。

 「友達の友達だから、友達だ」というノリで、その運転手とは初対面の時から様々な話をし、彼の言い値も払ってきた。だから、「コミュニティーに連れて行って」と言えばすぐに、「あいよ」と動いてくれるかと思っていたのだが、ソマリア人コミュニティーの名を出したことで、彼は急に顔をしかめたのだ。

 今回の取材旅行の目的を改めて話すと、彼は「ああ、それは取材というより、調査だね」と反応し、理解してくれた。そして「車から絶対に降りないこと。ゆっくり運転するから、何かやりたいことがあれば、指示をしてくれればいい」と言った。

 筆者が逗留している地域は、首都の中心から北へ車で30分以上かかるところに位置し、アメリカ大使が地域の入り口に居を構え、警察の寮と国連機関が軒を連ねている、首都の中でも最も治安が良く、美観も備えているところだ。国連職員はこの地域からほとんど出ずに、用を済ませることができる。その「完璧な空間」から、違法がまかり通る地域へと車を進めた。

 30分ほど行ったあたりから、ちらほらと、明らかにソマリア人と分かる女性を見かけるようになった。頭からベールをかぶり、首から下もすっぽりと1枚の服で覆っている。服の色は赤、黒、焦げ茶色が多い。運転手はある道に入ったところで、「時計を外して、バッグを座席の下に入れて」と筆者に助言をし、窓を閉めた。

 ソマリア人が、ひしめき合うようにいる。昼日中から大の男たちが数人固まっては何事かを話し、携帯電話をしきりに使っている。音楽に合わせて楽しげに踊ったりしているわけではなく、額を突き合わせて相談をしているふうである。まさに、「たむろしている」という様子だ。「彼らは仕事をしていない。いったい、どうやって暮らしているんだか」と、運転手は顔をしかめた。


ほとんどが、違法滞在者だろう。粗末な身なりが、彼らの生活レベルを知らせている。ケニア人に比べて頭部が非常に小さく、髪はコイル状に巻いている。白目が黄色く濁って充血している人も多い。眼病を患っている人もいるかもしれない。

 粗末な小屋のような住居の中は暗くてよく見えないが、入り口に練炭火鉢のような器を置いて、木炭を燃料に煮炊きをしている。小さな肉片を焼いている人もある。

 バナナなどの青物を商う店もある。「アルジャジーラ・レストラン」と大書されたテントは黒山の人だかりだ。たぶん、中東カタールに本社がある放送局、アルジャジーラの番組を見ているのだろう。あのテントは、ソマリア人のためにアルジャジーラが贈与したのだろうか。

 至る所に木炭が山積みされている。しかし通りに山積みされた木炭を盗もうとする姿はない。1メートル四方もありそうな大きな穴がいくつも開く道を、一定の速度で歩く人たち。けんかや喧騒はなく、それなりの秩序がありそうだ。

 ここでは、リヤカーが大活躍している。木炭や、袋に詰め込んだものをリヤカーに積み、額から汗を滴らせ、顔をしかめて運ぶ男たち。ゴミが山になっている場所もところがあり、子供と大人の男性が何かをあさっていた。

 真新しい建物が見えた。運転手は「学校だ。彼らが金(かね)を出して建てたんだ。誰が払ったんだ? そんな金、どこから来るんだ?」と言う。筆者が、ケニア政府が建てたかもしれないと言うと、「こんな不法滞在者に、政府が金を出すわけがない」と運転手。

 しかし民主主義国だからこそ、不法滞在者に便宜を図ることもある。彼らへの福祉の精神と、人間に教育を授けてこそ国家である、という意識からである。ケニア政府かソマリア人自身か、どちらが建てたのか分からないが、児童労働の姿がないところを見ると、教育の重要性はソマリア人も理解しているのかもしれない。

 それにしても、運転手のソマリア人への嫌悪感と警戒心は相当なものだ。以下、彼の言葉を列記してみると…。

「ソマリア人は傲慢(arrogant)だ」
「ソマリア人は汚い。体を洗わない」
「ソマリア人は辺り構わずペッペッと唾を吐く」
「働かないで、ケニア人を追い出してケニアの土地を勝手に使っている」
「ソマリア人はケニア人と一切話をしない。話しかけても返事をしないばかりか、我々のカバンをひったくり、金品を奪う」

 偏見とは、生活習慣の違いやコミュニケーションの遮断から生まれる。ケニアの国民からすれば、「ソマリア人はケニアの土地を勝手に使い、自分たちだけで固まって生きる身勝手な人間」と思ってしまうのは、理解できなくもない。



ソマリア人のコミュニティーがほかのアジアのスラムと明らかに違うのは、投げやりな姿がないことだ。アジアのスラムは栄養不良も蔓延し、閉塞感が強く漂って、売春をしていると思しき女性や、道端に寝転んで体力の消耗を避けている男性が多い。

 しかしここでは、携帯電話を使ってしきりに何事かを話す人も多く、女性は1人で歩いているし、子供たちは学校に通っている。これをソマリア人の発展の可能性と見るか、ソマリア人のケニア乗っ取りと見るか。

 宿に帰って、ソマリア人コミュニティーの話をした時、筆者が逗留している宿のスタッフは、「今にケニアは、ケニアという名前のソマリア人国家になるよ。私らは戦うからね。これは戦争になるよ」と息巻いた。


ソマリア人にはソマリア人のルールがある

 ソマリア人の様子は、ケニアに来る前に取材で聞いていた話と大いに符合する。

 「彼らは教育を重んじる。彼らには彼らだけの社会的秩序があり、それを守って生きているため、治安は完ぺきである。店に金を積んであるが、誰もそれを盗ろうとしない」とは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日代表のヨハン・セルス氏の言葉だ。

 「ただ彼らは、我々が唱える民主主義や人権の概念を彼ら自身の言葉で理解しているため、我々がそれを押しつけようとすると、非常に反発する」とも述べた。ヨハン・セルス氏は半年前までニューヨークで人道支援に携わっており、ソマリアにも何度か足を踏み入れている。同様のことを、国連で働く数人が皆指摘していた。ソマリア人の特性は、国を離れた異国においてもそのまま通用しているようだ。

 国境近くにあるソマリア人のための難民キャンプ、ダダーブは「9万人収容可能」と言われているが、実際にはその3倍の25万人以上が収容されている。しかし、ケニアは難民支援をしなくてはならないと同時に、「難民」という名目ではなく、違法に流入してきたソマリア人のコミュニティーの扱いに手を焼いていることだろう。ケニア人からも嫌われ、警戒心を持たれている一群が、人数も分からないまま首都の一角で膨張している。

 筆者は前夜、ナイロビで最も新しく最も清潔なショッピングモールで見かけたソマリランドの閣僚の姿を思い浮かべた。筆者が国連職員と食事をしていると、遠くから明らかに普通の人とは違う、威風堂々たる人が3人こちらに歩いてきた。

 仕立ての良い背広、真っ白なワイシャツが、茶色の肌に迫力と権威を与えており、威圧感があった。「1人は米国で教育を受けているんですよ」と知人は教えてくれた。その姿は、ニューヨークの国連本部ですれ違うアフリカ各国のエリートと全く同じだ。

 ソマリランドは、ジブチと故郷を接してソマリアからの独立を望み、すでに政治を始めている。旧イギリス領であり、現在大いに荒れている首都モガディシュを中心とした南部と、「アフリカの角」の一角に当たる旧イタリア領のプントランドとは、違う社会になったのかもしれない。ただ、同じソマリア人なのである。

 この違いは、何だろうか。教育、社会秩序、外国との交流…。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

 ソマリア人と話がしたい。

 宿に帰るや、筆者はソマリア人と知り合いだと言うケニア人に電話をかけ、面談の依頼を申し込んだのだった。




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2011年12月18日日曜日

増え続ける日本のムスリム

増え続ける日本のムスリム
彼らは何を思い、何を大切にして暮らしているのか?
佐藤 兼永


東京の代々木上原にある東京ジャーミイをご存じだろうか? 大きなドームと尖塔を備えた、歴史の教科書に出てきそうな佇まいの壮麗な建築物は、オスマントルコ様式のモスク――イスラム教の礼拝所--だ。建物の躯体工事は日本のゼネコンが担当し、内外装はトルコから招聘した職人が手がけた。
トルコ共和国政府の手で建てられた東京ジャーミイは日本を代表するモスクの一つだが、典型的な日本のモスクではない。早稲田大学の調査によると、2010年3月現在、日本各地に60を越えるモスクがある。それらの大半は、1980年代後半以降に急増したムスリム(イスラム教信者)の労働者や留学生が自ら建てた、草の根のモスクだ。

この連載では、ムスリムという、多くの日本人にとり馴染みの薄い人たちを取り上げる。 80年代以降、日本に魅力を感じ、日本で学び、働くムスリムが増え続けている。少子高齢化に直面する日本社会及び日本企業は、彼らの力を必要としている。ムスリムが何を思い、何を大切にしながら日本で暮らしているのかを知ることで、彼らと一緒に暮らしていくためのヒントが得られると思う。

「マイノリティになる以前のマイノリティ」
 日本に暮らすムスリムの正確な数を把握することは難しい。国勢調査や、法務省の出入国管理統計などにおいて宗教を問う項目がないからだ。早稲田大学で、日本に暮らすムスリムの調査を進めてきた多民族多世代社会研究所の推計によると、11万人前後のムスリムが日本に暮らしているとみられる。そのうち10万人ほどは外国籍のムスリムだと考えられている。(2010年3月現在)


つまり彼らが日本の人口に占める割合は0.1%にすら満たない。このように超少数派である日本のムスリムのことを、聖トマス大学非常勤講師の河田尚子氏は『日本人女性信徒が語るイスラーム案内』(つくばね舎)の中で次のように表現している。

 「陶芸家には、『無名の陶芸家』と呼ばれるようになる前の『無名になる以前の陶芸家』という言い方があるそうだが、私は、日本のムスリムの状況は、『マイノリティになる以前のマイノリティ』という言い方がぴったりなような気がする」。

ムスリムが来日する理由~出稼ぎから留学まで
 相対的に見て少ないとはいえ、ムスリムの数は着実に増えてきている。

 日本でムスリムの数が急速に増え始めたのは、80年代後半。バブル経済下の好況で、工場などの人手不足が深刻化した。当時、ビザの交互免除協定を結んでいたパキスタンやバングラデシュあるいはイランから労働者が来日するようになった。海外からの出稼ぎである。また1990年代後半から増えてきたインドネシア人には、外国人技能実習制度の下で来日した研修生も多い。

 近年ではイスラム圏からの留学生も増加してきている。それに伴い、卒業して日本の会社に就職する会社員ムスリムも徐々に増えてきた。

 マリ共和国出身で、電気通信大学大学院の博士課程に在籍するシセ・アハマドゥ・ディトゥ・アディさんによると、マリの学生の多くは、人脈づくりやビジネス・チャンスを求めて中国に留学する。しかし先進の技術を学びたかったシセさんは、日本への留学を選んだ。

 2005年にマレーシアの国費留学生として来日し、帝京大学で機械精密システム工学を専攻したノルル・シャズミラさんの目的は技術の習得だけではない。日本の企業文化・ものづくりの姿勢を学び取ることにある。

 2009年に大学を卒業した後、都内に本社を置く社員150人ほどのメーカーに就職したノルルさんは、埼玉県内の工場で品質管理の仕事に従事している。「仕事に対する日本の文化というか性格・態度にすごく憧れて。みんなの真剣な態度を身につけたいと思い、日本の企業で働きたいと思った。日本のエッセンスを身につけたい」。

 来日する理由は多様化している。欧米やシンガポールの大学への進学という選択肢もあるなかで、子どもの頃に日本のアニメなどに親しんだことを、来日の決め手に挙げる人も居る。

国際化が進む日本社会
 東日本大震災の影響もあり、日本の経済の先行きは不透明だ。ただ、長期的視点に立てば、日本社会の国際化・多様化がさらに進み、外国人労働者への依存度が高くなると見て間違いないだろう。

 少子化対策の必要性が指摘されて久しいにもかかわらず、いまだそれを食い止める切り札は見いだせていない。既に日本の人口が減り始め、それに伴うGDPの減少も懸念される。少子化は高齢化を加速させるだけでなく、社会福祉分野の需要を高める。その一方で、働き手は減り続ける。

 この状況を打開する策の一つが、外国人労働者の本格的な受け入れだ。国はまだその方向に舵を切っていないが、労働市場における外国人の存在感は徐々に増している。厚生労働省の調査によると、2010年10月末の時点で64万9982人の外国人労働者が国内で働いている。これは就業者全体の1%ほどにすぎないが、前年比で15.5%の伸びだ。


2008年には外国人看護師・介護福祉士候補者の受け入れが始まった。日本政府はインドネシア及びフィリピン政府との間で結んだEPAの枠内で、相手国の要請に基づいて受け入れている。一方、候補者を受け入れている施設側は、外国人の受け入れを別の視点から捉えている。

 「社会的に少子高齢化とか人材不足が叫ばれています。私たちが最初に考えたことは、そういうことに早くに手を打っておいた方が良い、ということです」。東京の八王子にある永生病院の相談役である宮澤美代子さんは、EPAに基づく受け入れプログラムに初年度から参加した理由を、こう説明する。  

 看護・介護採用担当部長でもある宮澤さんによると、今のところ永生病院では、看護師や介護福祉士の人材を確保できているという。しかし、将来外国人の手が必要になる可能性を念頭に、候補者を受け入れる経験を積んでいる。「ノウハウは全くありません。言葉の問題もあります。長い先、5年、10年先を見て、人を育成していく必要があると思います」、

企業の成長には多様性が必要
 少子化だけが国際化を推し進めるわけではない。多くの企業が、日本の大学で学ぶ留学生を積極的に採用しようとし始めている。

 NPO法人国際留学生協会が6月19日、外国人留学生就職フォーラムを主催した。これに21社の企業が出展した。参加した幾つかの企業の担当者は、留学生の持つ資質に魅力を感じていると口にした。

 「自分の国とは全然違う国、日本でチャレンジして、色々勉強している。そのタフさを僕らは評価している」(大手鉄鋼メーカーの担当者)。

 「日本企業の人材は、よく金太郎飴に例えられます。同じような人材を集めるだけでは企業の発展はなし得ないと思ってます」(医療系ITアウトソーシング会社の担当者)。

それでもなぜムスリムを気にかける?
 これらの企業の担当者は、留学生の中に居るムスリムの存在をどれだけ意識しているのだろうか?

 中には既にムスリムの従業員が働いている会社や、イスラム圏の現地法人で働くムスリム社員を研修のために受け入れている会社もある。しかし、外国人の採用自体を始めたばかりで、ムスリムの採用経験がない会社の方が多い。

 それでも、ムスリムの存在をまったく意識していないわけではない。先ほどのアウトソーシング会社の担当者は言う。「(ムスリムと一緒に働く機会が増えることは)今後必ず発生する課題と認識している。我々は企業として、人材を生かす、あるいは、受け入れる土台・土壌を作る努力をしていく必要がある」。

 この「今後必ず発生する課題」ということを、複数の人事担当者が異口同音に口にした。そして、この課題を克服するためには、会社の方も変わらなければならないという。

 「やっぱりムラ社会、島国なもんですから。宗教に限らず国籍が違う人とのコミュニケーションの経験がない人が、まだまだ多い。事業のグローバル化はもちろん、人の内面のグローバル化も進めていく必要があります。」(自動車関連メーカーの担当者)

 この連載では、職場や学校・地域社会などでムスリムと日本人がどのように向き合っているのかを詳しく見ていく。次回は、ムスリムがどんな生活をしているか、を展望する。知っているようで知らないことが、けっこうあることに気づくだろう。






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彼女がスカーフを許されない理由

彼女がスカーフを許されない理由
日本の企業文化の中で生きる日本人ムスリム2
佐藤 兼永

 前回は日本人男性ムスリムの話を紹介した。そこで今回は、日本人の女性信者に登場してもらおう。

 東京の北多摩に住むイーマーンさんは、ヒジャーブと呼ばれるスカーフをまとい、毎朝、港区の会社に通勤している。彼女がイスラム教に最初に出会ったのは、10年以上前のこと。コーランの暗誦コンテストを見たマレーシア旅行まで遡る。その時アラビア語に興味を持ち、勉強したいと思った。しかし仕事が忙しく、実際にクラスを取り始めたのは今から6年ほど前だ。先生たちが皆ムスリムだったことや、自分でコーランの日本語訳を読んだことから徐々にイスラム教との距離が縮まり、4年ほど前に入信した。以来、普段からイスラム教の教えを極力守る努力をしているという。「礼拝をするとか食べてはいけないものを食べないとか、守れる限り守るようにしてます」。

 しかし、たとえイスラム教の知識を持つ人が会社を訪ねて来たとしても、彼女を見てムスリムだと気づくことは恐らくないだろう。勤務中にスカーフを被ることを社長が認めていないため、毎朝会社に着くとスカーフを外してしまう。来客者に自己紹介する時も、「イーマーン」というムスリム名ではなく、両親につけてもらった名前を名乗る。日本人ムスリムが入信する際には、ほとんどの場合ムスリムとしての名前をつける。中にはムスリム名へ正式に改名する人もいるが、イーマーンさんは戸籍名をムスリム名に変えていない。

 同僚の中には、「仕事中もスカーフをつけていてかまわないのでは」と言ってくれる人もいる。しかし社長には勤務中は外すように言われている。

 「『いいんじゃないの』って言う方もいるんですよ。でも上の方に『嫌ですよね?』って尋ねると、『うん』って言われちゃうので。だから何ともこれは仕方がない。生きることの方が取りあえず先なので」(イーマーンさん)

社長がスカーフ姿を認めない理由
 社長がスカーフ着用を認めないのは、何も知らずに来社する取引先の人に誤解されたくないからなのではないか? そのようにイーマーンさんは考えている。社長に理由を聞いたことはない。ただ、様々な言動から推し量ると、イスラム教に対する嫌悪感が理由ではないようだ。

 「ちっちゃい会社ですからね。それだけみんなの生活がかかっているわけじゃないですか」。イーマーンさんは、そのように社長の気持ちを代弁する。彼女の勤務先は従業員10人ほどの貿易会社で、中国との取引がほとんどだという。たまにインドネシアの会社と取引をする以外、イスラム圏との関係はほとんどない。そしてオフィスへ訪ねて来る日本の取引先は、地方の小さな会社を経営する年配の人が多い。

 「取引先の方に理解があればよいのですが。そうでなかった時に『変な会社とはつき合わない』と言われたりすると困ると思うんです」

 ただ、取引先の反応を心配する気持ちの根っこには、社長自身のイスラム教に対する偏見があるのかもしれない。イーマーンさんによると、出勤時に社長と会社の近くでばったり会うと、スカーフ姿を怪しいと言われることがあるという。

 「朝、ごく普通の格好でヒジャーブをして歩いていると、たまに『テロリストみたいだよな』って言われることがありますから。まあ半分冗談なんでしょうけどね。でも、もしかしたら、ムスリムは“怪しい”っていうイメージが刷り込まれているのかもしれません」

 それでもイーマーンさんが社長の態度に理解を示すのは、向こうも歩み寄ってくれていると考えるからだ。


彼女はお昼の礼拝を、オフィス内のショールームで行うことが多い。ショールームには可動式のパーティションがあるので、それを動かして場所を確保し、礼拝を行う。しかし社長が昼食を取りに外出する時には、社長室兼会議室を礼拝に使わせてくれることもあるという。また、会社の食事会があると、「食べられないのはあんただから、あんたが店を決めなさい」と言って、宗教上食べられない物があるイーマーンさんに店を選ばせてくれる。食事会中にスカーフを脱ぐように指示されたこともない。

 「そういうところはすごく理解してくれています。だから、こちらもそういう意味では譲るところは譲らなければいけないと思っています。お互い様じゃないですけどね」

 「(スカーフを脱げと言われて)そこで『いいえ』っていうのも、どうでしょう? 言って通るのならそれはそれでよいのかもしれません。ただ、それで何かいざこざを起こしてもよいことはないですからね」

外国人ムスリムと日本人ムスリムへの視線の違い
 スカーフ姿への理解を得られないのはこの会社に限ったことではないことを、前職での経験から彼女は知っている。

 現在の会社に勤める前、イーマーンさんは「けっこう大きな財閥系商社の子会社」に派遣社員として7カ月ほど勤務していた。彼女の知り合いの若い日本人女性のなかには「ムスリムであることを周りに知られたくない」と言う人もいる。しかし彼女自身は自分の宗教のことを隠すことはない。この会社にいた時も、会話の流れで自分がムスリムだという話になったことがある。すると当時の直接の上司が「頭に何も被らなくてよいのか」と聞いてきた。そこで「被っていたいですけども、駄目ですよね?」と逆に聞いてみると、「やめてくれ」という返事が返ってきたという。

 「日本の会社って、たぶん8~9割、女性がヒジャーブしていたら仕事できないと思いますね。外人である場合を別にして、ごく普通の日本人であれば」

 「ヒジャーブをしている写真を履歴書につけて提出したら、派遣の仕事はまず来ませんから」

 日本人ムスリムと外国人ムスリムへの許容度の違いをイーマーンさんは次のように分析する。

 「日本人って面白いと思うんですけよ。外国の人がこういう(スカーフを被った)格好をしていても気にしない。ハーフもある意味で『外人』の域に入っているんだと思う。次に認められるのは外国人(と結婚した日本人)の奥様ですね。それだと『それしょうがないよね』というふうに思われるんでしょう。けれども私みたいなのは、いちばん受け入れられない。『全然普通の日本人なのに、なんでそうなの?』となる。宗教がどれだけ大切なのか分からないんでしょうね。『宗教が遠い』って言うのかもしれない」

 たとえ宗教を身近に感じていても、それを「自分の心の中で信じるもの」と捉えている人もいるだろう。そうするとムスリムが外見や行為にこだわることを不思議に思うのではないだろうか。しかしイスラム教の特徴の一つは、信仰行為を重視することにある。もちろん「心で信じること」は大切だ。それなしで信仰は成立しない。しかし、その信仰を目に見える形として表わす行為も重んじられる。だから礼拝が大切であり、スカーフをまとうことが大切になる。

(スカーフの着用が女性信者の“義務”であるかはムスリムの間でも議論が分かれることは事実だ。ただ、そのことに関しては、別の機会に取り上げたいと思う)

プライベートでは何も困らない
 イーマーンさんの話に戻ろう。彼女は会社において限定的な配慮しか受けられていない。しかしプライベートでは、ムスリムであることで何の支障もなく、のびのびと暮らしている。

 入信して約4年と日が浅いため、週末にはイスラム教の勉強会に出かけることが多い。そのためムスリムの仲間と一緒に過ごす時間の方が自然と長くなる。しかし意識してムスリムとのつき合いを優先しているわけではないという。


入信する前から通っている茶道の稽古には、着物にスカーフ姿で出かけて行く。教室に着くとスカーフを外してしまうが、先生が「スカーフを被らないように」と言うからではない。

 ムスリムの被るスカーフは、家族以外の男性の視線を遮るためのものだ。茶道の先生も生徒も女性なので、教室内でスカーフを被る必要はない。そこでスカーフ姿は「ちょっと鬱陶しい」ので稽古中は脱いでしまうという。

 稽古の行き帰りはスカーフ姿だが、他人がそれをどう思うかを気にしたことはない。先生や仲間の生徒たちが彼女の格好に対して何か言うこともない。そもそもイスラム教に入信したことは、はっきりと伝えている。

 茶道を続けるにあたり“予防線”を張る必要があったからだ。「お茶ってけっこう、お酒を飲む機会が多いんですよ。正月とかに『先生から一献お酒をいただいて』とか。私はけっこうお酒飲みだったので、食事の制限があるとか、お酒を一滴もいただかないと言っておかないと困るというのがあった」。

 家族との関係も良好だ。入信したての頃は、『そんなおかしな格好して』と言っていた親も、最近は慣れたという。母親とは特に仲が良いので、京都などへの旅行や、歌舞伎の観劇などにも一緒に行く。観劇の際には洋服の時もあれば、着物の時もある。ただ、どこに出かけるにせよ、スカーフは欠かせない。

イーマーンさんは気にしない。しかし問題になることもある冠婚葬祭
 彼女がムスリムになったことに対して周囲はどのように思うのか。唯一反応が分からないのは、最近会う機会がない田舎の親戚だ。

 「うちの田舎は茨城の山奥なんです。改宗してから親戚と会ったことないんですよね。もし冠婚葬祭があったら、私は(スカーフを被った)この状態でしか行くことができない。だからこの状態で出るじゃないですか。その時に、何て言われるんだろうなって考えると、ちょっと楽しみ。『どうしちゃったんだろうね』とか」

 日本人ムスリムや、日本人の配偶者を持つ外国人ムスリムは、ムスリムではない日本の家族との関係に悩まされることが多い。特にイスラム教以外の宗教に則って執り行われる冠婚葬祭は、ムスリムにとって大きなジレンマとなり得る。問題の一つは、周りからどう見られるかということだ。イーマーンさんのように、周囲の反応を知るのが楽しみだと言える人ばかりではない。そしてもう一つ。そもそも他宗教の結婚式や葬儀などに参加すべきか否かということも、問題になり得る。

 これまで主にムスリムの職場での日常と、それにまつわる悩みに焦点を当ててきた。次回からは、この冠婚葬祭のジレンマを手始めに、仕事以外でのムスリムの生活を見ていこう。








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「やっぱり女なんだ」の一言が教えの意味に気づかせた

「やっぱり女なんだ」の一言が教えの意味に気づかせた
日本社会に生きるムスリム6
佐藤 兼永  

今回は、現在進行形でイスラム教を受け入れつつある一人の日本人女性ムスリムを紹介する。伝統的なイスラム教の解釈を受け入れている日本人ムスリムも、様々な思いを巡らせた上で信仰を自分のものにしていることを理解してほしい。

 助産師で、聖路加看護大学大学院で国際看護の博士前期課程に在籍している田村千亜希さんは、4年前にコートジボワール人の夫と結婚したことをきっかけにイスラム教に入信した。

 「夫を見ていて、『イスラムって何なんだろう』と思うようになりました。本屋さんに売っているイスラムの本とかを自分で調べて、『私もムスリムとして生きていくのがいいのかな』と思い、自分から夫に宣言しました。私はイスラムになると。夫はその時までお祈りも自分だけでやってたし、ぜんぜん強要はしなかったんです」

 納得して入信したものの、田村さんはイスラム教の教えや考え方のすべてを最初から受け入れられたわけではない。

 「お祈りも、夫みたいに、すべて時間通りにやってはいません。授業と被ったら授業に遅れてまでお祈りはしません。まとめて、やったりはしちゃってますね」

 田村さんは、とある個人病院で助産師のアルバイトをしている。職場の同僚は全員、彼女がムスリムであることを知っている。しかし彼女が職場の片隅で礼拝することがあるのを知っている人は限られている。

 田村さんがイスラム教を受け入れる上で経験してきた苦労や葛藤のほとんどは、旦那さんとの関係に起因している。彼女の夫は母国の高校を卒業すると、サウジアラビアに渡りマディーナ大学でイスラム教について学んだ。田村さんは夫が他の多くのアフリカ人ムスリムよりも“厳格”である理由を、サウジアラビア留学経験にあると考えている。

 田村さんは夫のことを話す時、厳格という言葉を頻繁に使う。しかし話を聞いていると、“厳格”であることの対象は、マナーなど生活上の些細なことに関するものが多いことに気づく。

 例えば夫の“厳格さ”の一例として、「いただきます」や「ただいま」といった言葉をちゃんとアラビア語で言うように“生活指導”を受けていることを彼女は挙げる。

 食事中も注意される。「夫はとても厳しい敬虔なムスリムという感じです。絶対に左手で食べてはいけない。左手で食べていると『何をしてるの?』と怒られる」

 これには、さすがに納得できず、ムスリムの知り合いに相談した。「イスラムに精通した人に聞くと、そこには文化の問題が混じっていると言う。『そんなに苦痛に感じるならちゃんとご主人と話して、左手で食べることを許してもらったら?』と言われたことがあった」

 そこで改めて夫に話してみた。返ってきた返事は「それは駄目でしょ」の一言だった。夫に従うしかないと考えた。「私にとっての(ムスリムとしての)教科書は、コーランでなく夫なのかもしれません」。

半そでの制服に夫が不満
 田村さんの旦那さんは、彼女が仕事をしていることも快く思っていない。勤務中はスカーフを被らないだけでなく、制服の白衣は半袖だ。そのことが夫婦間の摩擦の種になる。

かつて、ある書類を彼女から受け取るために、旦那さんが彼女の職場を訪ねた。受付の人に書類を託し、夫が来たら渡してくれるようにと頼んだ。しかし彼女は結局、訪ねてきた夫に「呼び出され」(田村さん)会わなければならない形になった。

 「『どうしよう。私、着替えようかなぁ』って言ったら、職場の人が『そんなに大変だったら、私が行ってきてあげようか?』って言ってくれました。でも、『大丈夫です。この姿で行ってきます』って言ったんです」

 旦那さんは彼女の制服姿を見て、仕事を辞めろとは言わなかった。しかし「上司と話をして、長袖とスカーフ姿で働けるようにお願いするべきだ」とは言った。それも1度きりではなかった。それから数カ月の間、2週に1度は上司に話したかと聞かれた。

 彼女としては、旦那さんの気持ちを慮ってあげたい気持ちもある。しかし最終的に重視したのは助産師としてのプロ意識だった。自分の信仰も大事だが、医療従事者としては、何よりも患者の治療のために最良の環境を提供することを最優先したかった。


信じていれば「形にはこだわらなくてもよいのではないか」
 話題を彼女の職場から日常に戻そう。普段の田村さんの、服装の変遷の中に、日本人ムスリムがイスラム教を受け入れる過程の一例を垣間見ることができる。

 今年の2月に田村さんを初めて取材した時のことだ。彼女がスカーフを被る理由を尋ねた。すると一瞬、間を置いて、次のような短い答えが返ってきた。

 「はっきり言っていいですか?」
 「夫がそれを望んだから」

 イスラム教において女性は、女性の象徴となるものを覆い隠さないといけない。他の男性の目線から隠すためにスカーフを被ると田村さんは理解している。しかし、スカーフを被ることで、日本ではムスリムの女性が逆に目立ってしまうという思いもある。「形にはこだわらなくてもよいのではないか」という思いが入信してしばらくの間は強かった。

 しかし、このスカーフに対する思いは、揺るぎのないものではない。以前は「形にはこだわらない」という思いが100%を占めていた。しかしその割合が徐々に少なくなり、現在では20%くらいになっている。形にはこだわらないという思いが全くなくなることはないと考えている。しかしイスラム教が姿形や行為を重視する背景には意味があると、田村さんは次第に感じるようになった。

 スカーフに関しては、大学院の友人が発した何気ない一言で、その果たす役割を認識するようになった。

「やっぱり女なんだ」
 田村さんの友人で、同じ大学院の博士前期課程で看護管理学を専攻する中村美香さんは、心理学の授業で初めて田村さんを見かけた時のことを覚えている。スカーフ姿で自己紹介する田村さんを見て、「国際看護専攻だし、いろんな国の人が来るのかなと」思ったという。しかし直接話してみると日本人だと分かった。今ではすっかり仲の良い友人だ。

 中村さんはある時まで、スカーフを被っていない田村さんを見たことがなかった。2010年のゴールデンウィーク中に登校した時、周りに男性がいないのでスカーフを脱いでいた田村さんが、大学院生のラウンジでプレゼンテーションの準備をしていた。彼女を見た中村さんは、最初、田村さんを別人だと思ったという。

 次に中村さんがスカーフなしの田村さんを“目撃”したのは2010年の12月23日のことだ。その日、もう一人の女友達と3人で東京都文京区にあるフォーシーズンズホテル椿山荘に宿泊した。大学院で頑張っている者同士、自分たちへのご褒美にちょっとぜいたくしようと考えたという。

 中村さんともう一人の友人がホテル内のスパに行っている間、田村さんは一人で部屋のお風呂にのんびりと入ることにした。中村さんたちがスパから戻ってきた時、田村さんもちょうど風呂から上がったところで、髪の毛をバスタオルで拭いていた。「パーマをかけるなど髪型にこだわりがある」と語る田村さんの言葉に、中村さんは「田村さんはやっぱり女なんだ」と思ったという。

 「私、田村さんを見て、色気を感じましたね」(中村さん)

 中村さんが漏らした感想を耳にして、スカーフには女性を男性の視線から守る役割が実際にあると田村さんは感じるようになった。

 しばらくして、田村さんは中村さんに「ムスリムが被るスカーフに実質的な機能があるか」と訊ねた。2人で歩いている時にカップルの姿などが目に入り、独り言のように中村さんに訊いてみたという。この時には、中村さんの「スカーフには役割があると思う」という返事に対し、「そうなのよ」と同意できるくらい、スカーフの役割に対する認識は変わっていた。

ムスリムでない友人が生活にバランスをもたらす
 スカーフに対する認識の変化が示すように、田村さんは徐々にイスラム教の教えを受け入れるようになった。彼女の夫の解釈に沿ったイスラム教を受け入れてきていると言ってもよいかもしれない。

 田村さんによると、そのような彼女の変化に気づいたバイト先の同僚は「だんだん板についてきたわね」と言うそうだ。中村さんは「だんだんムスリムの世界に入って行きますね」と評する。

 しかし中村さんによると、田村さんはムスリムとしての認識が変化しながらも、友人たちへの接し方に変化はないという。ムスリムの一部にはムスリム以外との交遊を好まない人もいる。特に日本人ムスリムの場合、入信してイスラム教への思い入れが強まるにつれ、ムスリム以外の人との間に壁をつくってしまう人もいる。しかし中村さんは、田村さんにそのような壁を感じないという。


もちろんそこには、単に、仲の良い友人との関係を維持したいという思いもあるだろう。ただ田村さんは、イスラム教とかかわりのない友人との関係が、自分のムスリムとしての生活と周囲の日本社会とのバランスを保つ役割を果たしていると考えている。

 自分で決めて入信した。ムスリムとしての務めを果たしたいという思いもある。しかしイスラム教の考え方を次第に自分のものにしてきているとはいえ、あくまで彼女はイスラム教を受け入れる過程にある。生まれ育ち、慣れ親しんだ文化とは異なるムスリムとしての生活にストレスを感じることもある。しかし、イスラム教と関係ない友人たちがいることで、ストレスが和らぐし、無理のないペースでムスリムとしての生活をできるようになっている。

 「(ムスリムでない友人たちとの人付き合いが)このムスリムだけの生活のストレスから、ちょっと助けてくれてるのかなぁと思いますね」

 田村さんはまた、仕事で外に出ることがあるからこそ、日本でもスカーフを被っていられるのではないかと言う。


外国人ムスリムである旦那さんの変化
 変化してきたのは田村さんだけではない。田村さんは、外国人ムスリムである旦那さんの方も、日本社会の現実と自分の信仰との折り合いをつけようとして、苦労していることに気づいた。

 田村さんは以前、彼女が働くことを快く思わない“厳格”な夫が自分に歩み寄ることはないと思っていた。

 「(夫が歩み寄ることは)初めは全くないと思っていたんですよ。(妻である自分にどのように振る舞って欲しいのか)自分の要求だけ伝えるなって(思っていた)。『コーランにはこう書いてるでしょう。これを読みなさい』みたいな感じで言われてた。つい最近、彼もかなり苦労してるんだろうなって気づいたんですよ」

 「以前は、何かというと、『イスラムでは』とか『日本人は何とかだ』という発言があった気がする」と田村さんは言う。例えばイスラム教は利子を得ることは禁じているので、口座を持っている銀行に行き、今後利子をつけないように頼んできなさいと言われた。また、大学の恩師と近所の公園で偶然会った時、握手を求められた田村さんは喜んで応じてしまった。その場では夫は咎めなかったが、先生と別れてから「ムスリムだから男性とは握手できない」と先生に断らなければいけないと注意された。

 しかし、このようなことは次第に少なくなり、最近は人当たりも良くなってきた。夫がだいぶ接しやすくなってきたと感じている。

 夫が変わることで、田村さんも夫の身になって考える余裕が出てきた。

 「『私だけが頑張っているわけではない。彼も頑張っているんだ』って思ったら、少し気が楽になって、彼を少し受け入れなくてはと思うようになりました」

 旦那さんの変化には、彼の仕事が影響しているではないかと田村さんは考えている。

 田村さんの夫は現在、英語の補助指導員として都内の小学校で働いている。結婚当初は、彼が難民申請中だったため、正式に職に就くことができなかった。その時は大学院入学前だった田村さんがフルタイムで働いていたため生活に支障はなかったものの、イスラム教的には夫婦の立場が逆転していたことになる。

 その当時は夫のつらさに気づかなかった。夫の“厳格さ”ばかりが目についた。しかし大学院入学が決まり、学業になれるまで3カ月間バイトをせずにいた時に、夫のつらい思いに気づいた。社会人として仕事をしていないというつらさに加え、ムスリムの男性としてもつらかっただろうと想像する。



「イスラムだと、男性が女性を養わなければならない。相当つらかったと思いますね」

 旦那さんは仕事に就いたことで、ムスリムの夫としての自負心が回復するとともに、職場での日本人の同僚や子どもたちとの交流も、彼の態度の変化を促しているのかもしれないと田村さんは考えている。

 田村さんの旦那さんは職場でも、食事やお祈りについては自分の意志を通しているという。昼食は田村さんが弁当を用意する。礼拝は空き教室か更衣室で行っている。しかしそれ以外では、色々と我慢や苦労をしてるのだろうと彼女は想像している。我慢するだけでなく、先生たちと話をすることで、日本社会の在り方についても学んでいるのではないか。田村さんはそうも考えている。そして穏やかになってきたのには、日々、子どもたちと接することが影響しているのではないか。

互いの変化が相乗効果となり、歩み寄りが加速する
 以上が、今年2月と6月のインタビューの際に田村さんが語ってくれたことだ。

 旦那さんにまつわる田村さんの話は、彼のポジティブな変化についてよりは、“厳格”な彼との間の、しんどかった過去の経験談の方が多かった。自身のイスラム教に向き合う姿勢についても、ムスリムとしての至らなさや不十分さを恥じながら話していた。

 しかし10月11日に電話で話をした時の田村さんの言葉からは、明らかな変化が感じられた。まず彼女自身のイスラム教との向き合い方が大きく変化していた。

 田村さんは電話口で、「今年の断食は楽しめた」と語った。8月の断食月の間、普段より頻繁にモスクに通い、多くのムスリムと接する機会が持てた。そうすることで断食の意味がよく理解できた。そう語る彼女の声は、楽しげだった。

 6月に筆者が会った時、彼女はちょうど断食中だった。今年は8月1日に始まる断食月を控えて、去年の断食月にできなかった分の断食を、その日に済ませてしまおうと夫に促されたからだった。その説明をする田村さんから筆者が受けた印象は、断食に対してあまり乗り気ではないというものだった。

 現在の田村さんの話に戻ろう。彼女はまた、以前なら考えられないようなことを夫が口に出すようになったとも語った。

 「(夫に)『イスラムに関しての知識とか行動・格好よりも、あなたの気持ちが大切ですよ』って言われたので、ちょっと気が楽になったんですよね」

 「『気持ちが大切』と言いながらも、夫のことだから『気持ちがあれば行動に示すだろう』と考えていると思う。それでも彼の言葉は、助け舟のように聞こえた」と彼女は言う。

 以前なら苦痛に感じていたものも苦にはならなくなってきたという。例えば昔は、スカーフの端から髪の毛が出ていることを夫に指摘されると、嫌な思いをしていた。しかし最近は気にならない。

 「前は『うっさいなぁ』とか思ったんですけど、今はもう、別に、『ああ、そう? 失礼致しました』って感じですね」

 髪が少しはみ出ていることをいちいち指摘する夫。以前なら旦那さんの“厳格さ”を示す格好の例として取り上げてもおかしくない話だ。今は彼のことを、他のムスリムに比べれば厳格なのだろうが、「『イスラムに真面目な人だな』というふうにやんわりと思うように」なった。

 「厳格というか、『すごくいろんなことを知ってるなぁ』って思うように変わりましたね。まぁ、他の人と比較をすると、厳格と言えば厳格ですね。ただ、そういう彼が夫で後悔はないというか。いろんなことをすぐに聞くことができるし。安心できますね~。狂いがないというか、ブレがないので」

 これまで、主に日本人ムスリムの視点から見た話を進めてきた。しかし田村さんの話からも想像できるように、外国人ムスリムにも彼らなりの物語がある。次回は外国人ムスリムの話を紹介しよう。







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「旦那さんには実は第2妻がいた」

「旦那さんには実は第2妻がいた」
一夫多妻の本質は社会救済策、厳しい条件もある
佐藤 兼永

今回と次回は、一夫多妻制の話を取り上げる。読者の中には「イスラム教って一夫多妻を認めてるんだよね」と違和感を覚える人がいるのではないだろうか? イスラム教やムスリムを知ろうとする時に避けて通れない、理解を阻む壁の1つだろう。日本人には馴染みの薄いこの制度をどのように理解すればよいのか、を考える。さらに「イスラム教とムスリムをどう理解するか」というテーマへとつなげていきたい。そのために、まず、“歪められた”一夫多妻の話から始めよう。

イスラムの結婚には証人と婚資が必須
 日本人ムスリムの永野将司さんはブログやツイッターでイスラム教について積極的に発信をしている。彼は「脱力系ムスリム」を自称しつつも、「女性の人権の問題などについて、僕はすごく配慮してやってる」と自身のスタンスを語る。接する相手が感じる心理的なハードルが低いのか? そんな彼には、日本人ムスリムから本音と弱音の混じった相談がしばしば持ちかけられる。例えば、「断食しなきゃいけないんでしょうか? 断食ってこんなにつらいんですね」といった感じだ。

 その中には「第2妻の問題も、もちろんあります」(永野さん)。

 イスラム教上の結婚は、男性の証人を2人を立て、マハルと呼ばれる「婚資」について定めるなど婚姻契約を結ぶことで成立する。ちなみにマハルは新郎が新婦個人に対して支払うお金だ。「結納金のようなもの」と解説されることもあるが、離婚時に支払うマハルもある。しかし永野さんに相談を持ち込んだ、ある日本人女性の結婚は、この基本的な要件を満たしてなかった。

 「結婚する時に友達が1人付き添ってくれただけだから証人は1人。そしてマハルも無しでした。マハルが無かったから、離婚する時に悲惨な目に遭いました」

 「その女性は、何か分からないまま、イスラムに入らされたと言ったんですよ。イスラムに入信する時は、本人の意志を必ず事前に確認します。『あなたの意志で入信しますか?』って。またイスラムの結婚には、『この結婚はあなたの意志ですか?』という確認の作業があります。彼女の場合は、そういったものをはしょって既成事実をつくった」(永野さん)

 問題はこれだけではない。

 「もっと突っ込んで言っちゃうと、旦那さんには実は第2妻がいたという。で、第2妻の方にべったりになって、彼女には生活費も入れない生活が続いた。そして、『お前もういらないから』という感じで、離婚を言い渡した」(永野さん)

 「この旦那さんは、イスラム法に則った結婚もしてない。第2妻にべったりになるのもイスラム教的にアウトじゃないですか。で、生活費も入れないというのは、さらにアウト」(永野さん)

 ただし、このカップルは日本の民法上、婚姻関係にあった。それなら離婚に際して慰謝料を請求できるのではないか? 永野さんも当然そう考え、女性に尋ねると、別の問題が明らかになった。

 「弁護士が戦ってくれないんですよ。なんでかって言うと、弁護士にイスラムの知識が無いから、『イスラムは第2妻がオッケーなんじゃないか』ってことで戦う気がない。だからその案件に着手してくれないんです。かといって、自分で裁判戦える人って、そうそういないじゃないですか」

一夫多妻は平等に扶養することが条件
 ここでイスラム法が複数の女性との結婚をどのように定めているか見ておこう。そのために、この連載でたびたび登場している日本人ムスリムの前野直樹さんに再び登場してもらう。前野さんはシリアに留学し、イスラム法について学んだ。スンニ派イスラム法学における一夫多妻が合法となる条件について、彼に解説してもらった。硬めの表現だが、法学上の解説なので、厳密を期すため彼の言葉をそのまま紹介する。

 「シャリーア(イスラームの教え)の源泉たるコーランを参照する限り、4人までの一夫多妻は扶養面での平等を条件とした必要時の社会救済策であり、平等が無理ならむしろ一夫一婦が推奨されています(コーラン第4章第3節参照)。もう一つの源泉たる預言者ムハンマドの慣行を見れば、その家庭生活の在り方から、基本は一夫一婦であり、その後、神のご命令による様々な英知がゆえに一夫多妻となったことが分かります」


幾つかの点について簡単に確認しておこう。まず、イスラム教においても一夫一妻が基本である。そして「扶養面での平等」が条件だ。先ほどの女性のケースを永野さんが「アウト」と判断したことが、イスラム法に沿ったものであると理解してもらえるだろう。

 一夫多妻制が決して不合理な制度でないことを理解してもらうため、歴史的背景を述べておきたい。一夫多妻を認める啓示が預言者ムハンマドに下った当時、ムスリムの共同体は周辺部族との戦争で男性信者の多くが命を落とし、たくさんの戦争未亡人と父親を失った子どもたちが生まれた。当時の社会において女性が独身のままで生計を立てることは難しい。彼女たちを救済するため、妻たちを平等に扱える限りにおいて4人まで女性を娶ることを認めた。コーランにも、寡婦の救済としての一夫多妻制について記述がある。

勝手に2人目と結婚することは精神的暴力
 話を現代の日本に戻そう。東海地方に暮らす、ある日本人女性ムスリムは“第2妻の問題”についての次の見解を語った。先ほど永野さんが例としてあげた女性とは別人だ。

 「外国人ムスリムが取得した永住権を、これまで剥奪することができなかったんですね。だから、いったん永住権を取得すると、第2夫人をもらうパターンがものすごく多い。その後のことについては分からないです。今まで支えてくれた奥さんにさようならにするのか? 2番目にそばに来てもらって、1番目を遠ざけるのか? 表立って第2妻をつくる人と、隠れてする人がいるので」

 彼女も、プロポーズの時、夫に「結婚する相手はあなた1人だから」と告げられた。その夫が最近、彼女に無断で、母国の女性を2人目の妻として結婚したという。この日本人女性は現在、夫と別居している。

 女性はまた、2番めの奥さんと勝手に結婚するような家庭では、女性が家庭内暴力(DV)の被害に遭うこともしばしばだという。

 そこで無断で第2妻と結婚することとDVを振るうことの関係性を尋ねると、女性はこう答えた。「勝手に結婚することイコールDVですよね? だって一緒に暮らしている人の気持ちを考えてないわけだもん」「手で叩くだけでなくて、日常の無視、その逆の過度の愛情、そしてパートナーが嫌がり不快に思っていることに気づかないこと自体がもうDVだと思うんです」

 第2妻の問題を公に認めるのは、日本人ムスリムだけではない。前回の震災支援の話でも登場してもらった、日本イスラム文化センター事務局長のクレイシ・ハールーンさんもその1人だ。

 クレイシさんは法学者でないために、イスラム法がどのように一夫多妻制を定めているかに言及することは控えたいと言う。あくまで個人的な意見と断った上で、1人目の奥さんに無断で2人目と結婚することは、「そうすることによって家庭が壊れるから日本では避けた方が良い」と考えている。

 そもそもクレイシさんは、イスラム法が夫に要求する「妻たちを平等に扱う」ことは実行するのが難しいと言う。「不可能ではないでしょうけども、難しい道だと思います」。

 先ほどの東海地方に暮らす女性が「第2夫人をもらうパターンはものすごく多」いと指摘するのに対し、クレイシさんの見解は異なる。

 「そういった問題を抱える女性は確かにいます。ここのモスクにも時々そういう相談があります。だけど、トータル的に考えるとものすごく少ないと思います。私が知ってる範囲では多くの人がしているわけではないです」


こうした被害に遭う女性が多いのか少ないのか、主観の絡む問題で判断が難しい。そもそも一夫多妻を実践するムスリムが少ないことと合わせて考えると、「少数の限られたケースだが、相談の集まるところではよく耳にする」程度に問題は存在しているといったところだろうか。

“第2妻問題”の本質は宗教の問題ではなく、「弱い方が割を食う」こと
 それでは“一夫多妻の問題”をムスリムとの共生を図るために、どう考えるべきか? 3点を指摘したい。

 第1に、ここで取り上げたケースは“歪められた”一夫多妻であり、一夫多妻“もどき”だということだ。つまりイスラム法に基づいて実践された一夫多妻ではない。一定の条件の下で一夫多妻制が認められているため、第2妻を持ちたい男性が“隠れ蓑”としてイスラム法を利用する側面はあるだろう。日本人にもろくでもない人間がいるように、ムスリムにもイスラム教の理想に反したろくでもないムスリムがいる。

 また宗教がらみの問題ということで、イスラム教の知識を持たない日本人が立ち入りにくく感じることがある。永野さんが指摘した弁護士の話のようなケースだ。

 第2は、イスラム教の教えに則って一夫多妻を実践し、幸せに暮らしている家庭も存在している点だ。前出の、東海地方に暮らす日本人女性はこう指摘する。

 「本当に第2夫人と仲良くやっている人もいるし、第2夫人をもらわれるのが嫌なので、自分が夫の母国へ移住する人もいる。夫の母国で第2夫人になっている人もいるし、いろんなパターンがある」

 第3は、外国人ムスリムとの国際結婚における問題の構図は、「被害者としての日本人vs加害者としての外国人」に限らない点だ。

 日本人ムスリムの大久保賢さんは、埼玉県春日部市にある一ノ割モスクのイマーム(導師)を務めている。彼は、インドネシア人女性からDVの相談を受けることがあるという。

 「日本人男性と結婚してDVに遭って逃げたインドネシアの女性がいるんですよ。そういうのは日本語のメディアには絶対出てこないから、みんな全然知らない。日本人の側からだけ見て、『外国人が悪い』と言う。日本人もけっこう悪いことをやってますよ。深刻なケースでは、何かあるとすぐ殴られる、無理やり酒を飲まされる、豚肉を食べさせられる。その人は、怖くなって、最後には子供を連れて逃げた」

 ムスリムの女性はムスリムの男性としか結婚できない。大久保さんによると、このような暴力を振るう男性は大抵、ムスリム女性と結婚するためだけにイスラム教に入信した人たちだという。

 大久保さんは、ムスリムの国際結婚カップルの問題を考える時の注意点を指摘する。「弱い方が割を食うってことです。例えばパキスタン人の男性が日本人の女性と結婚する場合は、女性の方が弱者だから割を食う。外国人とか日本人とかいう問題ではない。それを見ないと『日本人対外国人の問題』になっちゃう」。








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