- ブハーリーの「ハディース」上巻をお読みになった読者は、目次とそれぞれの内容のことを憶えておられることであろう。本書は番号のついた章によって目次が作られているわけではないが、ここで便宜的に章による分け方を使うと、
- 第一章が「啓示が神の使徒に下されたことの次第」、
- 第二章は「信仰の書」、
- 第三章が「知識の書」、
- そして第四章以下かなりの章が、礼拝およびそれに関連する諸事項について扱っている。
- 最初の章は神の使徒ムハンマドが「神の使徒」である由縁を語るものである。「アッラー以外に神はなし、ムハンマドは神の使徒である」という言明をもってムスリム( イスラーム教徒)であることを宣言したこととするイスラームにあっては、ムハンマドと彼に下されたコーランの持つ特別の意味は、イスラームとユダヤ教ヤキリスト教など他の一神教とを分ける決定的な境界となっている。そのような立場からすれば、ムハンマドに下されたのは神の言葉であったこと、また言い方を替えれば、神の言葉「コーラン」が下されたのはムハンマドという人物であったということは、ムスリムにとってもっとも重要な信ずべきことがらの一つであり、その経緯についてムスリムが知ろうとするのは当然のことと言える。次の章は、「信仰」でイスラームの信仰とはどのようなものかを説いている。第四章以下で「礼拝」およびそれに関連することを取り上げるのも、イスラームにおいて信仰との関連で「礼拝」に与えられた意義を考えるならば、十分に理解できる。
- このようにハディース集の最初の部分の構成は、外部の者から見てもよく理解できるようになっているが、第三番目の「知識の書」だけは、我々の宗教観からするとなぜこのような表題でまとめられるハディース群が、このような前の方に置かれているのだろうかという疑問が生じる。イスラームの信仰は、単に心の問題であるだけではなく、具体的な行為として表現されることを求められる。このような信仰と、「知識」という知的な領域は、どのようにかかわっているのであろうか。
- ハディースで「知識」と訳されているのは、アラビア語では「イルム(複数形ウルーム)」という語である。「イルム」という語はコーランに百回以上も出てくるきわめて重要な語である。この語は「知識」としか短く訳すことはできないが、いったん「知識」と訳してしまうと、我々が常識的に使っている意味で捉えがちである。しかし、コーランとハディースを注意深く読んでみると、日常的な意味での「知識」だけではなくもっと宗教的価値を含んだ語として使われていることがわかる。このことについてきわめて説得的に論証したのは、訳者牧野先生の恩師の井筒博士である。井筒博士は「コーランにおける神と人」において、意味論的にこの語を分析し、次のように結論づけている。イスラーム以前には「イルム」は人間の経験に根拠を置く「確かな知識」を意味したが、コーランでは、神にその起源を発するがゆえに「確かな知識」を意味するように変化した。コーランによれば、源が神にあるような「知識」が正しい知識であり、それだけが「確かな」知識なのである。
- ハディースにおいても、「知識」は当然コーランと同じ意味で使われている。「知識の書」の一と五の二はコーランからの引用、すなわち神の言葉そのものであるが、そこで使われている「知識」はまさに神によって授けられた「知識」そのものである。しかし、五の二の「主よ、わが知識を増し給え」という句や、一五の(一)の預言者の言葉などは、ごく常識的に読むならば、我々が使うのと同じような意味での「知識」をも含んでいると解釈してもおかしくない。さらに言うならば、どの時代のムスリムが読んでも、宗教だけではなくもっと一般的な意味での知的活動に対する奨励と解釈してもおかしくはない。「知識」の伝授にかかわるハディースは、さらに強くそのような傾向を持っていると言える。ブハーリーのハディース集の他にも、「知識」の重要性を強調し、学問習得や教育の大事さを説く多くのハディースがある。コーランとハディースを通じて言えることは、イスラームという宗教は、知的な理解を要請し、その理解を助けるために適切な教育を奨励する性質を強く持っているということである。
- イスラーム文明における学問や科学の発展はまさにイスラーム自体が持っているそのような性格に負うところが大きいと言える。主としてコーランを教える教育はすでにムハンマドの時代からあったという。それが学校という形態をとっていなくても、イスラームの教育史の始まりと言えるであろう。コーランを学ぶことは、それに伴うさまざまな事柄を学ぶことにつながる。語句や内容を理解するためには、ムハンマドや教友たち(サハーバ=ムハンマドを直接知っている世代のムスリムたち)がそれぞれをどのように解釈していたかを知る必要がある。さらには単語の意味や文法がしっかりしていなければ正しく読むことも意味をとることもできない。コーラン解釈学やアラビア語学が追求されるようになるのも当然である。
- これと関連しながらも別の分野でも「知識」の追求が奨励された。預言者ムハンマドの人となり、教えや行為はどのようなものであったかをできるだけ詳しく知りたいという欲求がムスリムたちの間から起こってきたのもごく自然なことである。ムハンマドの言行を伝える伝承がハディースと呼ばれるものである。イスラームはムハンマドの死後間もなくアラビア半島から出て広大な地域に広がった。そのためムハンマドの伝承を受け継ぐ人たちもその広い地域の各地に散らばることになってしまった。少しでも多くのハディースを知ろうとすると、各地に出かけてそのような人たちに会って話を聞かなければならなくなった。そのようにハディースを求めて旅することも「知識」を求める旅(タラブ・アル・イルム)と呼ばれている。何世代にもわたってこのような努力が積み重ねられてきた結果が、このブハーリーのハディース集成のようなハディース集なのである。
- ハディースは預言者ムハンマドに対する敬愛と念と、信仰のあり方の模範をムハンマド自身に求めようとする考え方がもとになって熱心に集められるようになったが、それとは別にイスラーム法学の立場からも収集された。イスラームの学問体系においては、人間の外的および内的存在のすべての局面にかかわるとされるシャリーア(イスラーム法)を対象とする法学において、ハディースはコーランに次ぐ法源としての地位を与えられ、ますますその重要性が高まっていった。
- このようにして、ハディースをより多くより正確に知っていることは、信仰者としてそして知識人として求められる重要な条件となった。「知識」を求めることの重要性を説く多くのハディース自体、具体的にはより多くの、より信憑性の高いハディースを集めることを奨励しているのである。
- このように、ムスリム知識人にとっては、「知識」はイスラーム的価値を持つ特殊な知識であると同時に、一般的な知識をも意味したのである。八世紀半ば以降イスラームの諸学問が急速に発展していったのであるが、それと並行してその他の様々な起源の学問や知的活動もさかんに行われるようになった。アッバース朝時代の旺盛な知的活動についてはここであらためて述べるまでもないが、それを支えた社会的経済的な基盤はともかくも、イスラームの教えに関わる「知識」のみならず、一般的な意味における「知識」に対する刺激という点で、コーランとハディースの果たした役割は欠くことのできない重要なものであったことは間違いない。見方を変えるならば、コーランで喚起されたムスリムの「知識」に対する欲求が時代とともにさまざまな知的活動へと発展していくなかで、イスラーム文明の持つ雰囲気とでも呼ぶべきものがハディースに反映されるようになり、それがさらにコーランの「知識」を求めよという教えを補強することになったと考えられる。
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