ラマダン 7日目。
1週間目が終わります。
おおよそ、3分の一のファスティングが終わったことになります。
ラマダンの間は、各モスク、各ご家庭で、無料でイフタールを分け合うことがあります。
普段より、更に、恵まれない人たちに寛大になる時期でもあるように思えます。
ケニアでのムスリマのコミュニティの中で、
以下の動画がシェアされましたので、
こちらでも、載せますね。
動画載せてたんだけど、bloggerは見れないから、Amebaのブログで見てください。
まー、一目瞭然なんですが、
考えさせられることがあるなぁー、と思います。
同じイスラーム。共通する行い、考えがあると思うんですが。
暮らす国、育つ環境で変わるのは、致し方ないことかもしれません。
ただ、心で感じること、自分が出来ること、考える機会を持つのは、大事かな、と思いました。
ビデオは、まー、極端な表現の仕方をしてますけどね。
反対もあり得るわけですからね。
裕福に暮らすアフリカの人が居て、貧しく中東で暮らす人も居てる。
ケニアで暮らすようになってから、
イスラームを知ってから、
この貧富の差をヒシヒシと考えるようになりました。
日本に居てた頃は、たまに見るテレビのドキュメンタリーで、その時だけ考える、という程度でしたが。
日常に貧富の差を見ていると、
麻痺してきて、もうこの貧困は個人レベルではどーにもならない、って開き直ってしまってる部分と、
大きく考えるのではなく、個人として、身近で困っている人、途方に暮れている人がいたら、手を差し伸べる、それだけでも意味がある、と思う部分と、
半々です。
でも、単に、求められるから、与えるばかりが良いのか、と言うと、そうでない気もします。
世界中を仕事で回っている友人も言ってました。
お金を与えるのは簡単だけど、それをしちゃうと、
外国人=お金、と言う方式になるから、
絶対に渡すべきではない。と。
特に、ストリートの子供達に対してですけども。
とても、難しい問題だなぁー、って思います。
貧困をビジネスにしていたり、
貧困でないのに、貧困を装ってたり。
普通に働くよりも、物乞いしてる方が稼げる。
とか。
負の要素も多いのも事実なように感じます。
ラマダンの終わる最後の日は、寄付を行います。
年収から判断して、その何パーセントを、
貧しい人に渡すか、
モスクに預けて、必要なところに分散されます。
5年くらい前から、私達夫婦は、
お金で寄付するのではなく、
その金額分の食料を買い、
ラマダン最後の日の夜に、
貧しい人に、その食料を配るように決めました。
以前は、お金を渡してましたが、それは辞めました。
私達がしていることは、特別でもなんでもなく、
全ての善意あるムスリムは、みんなが行なっていくことです。
世界中で。同じルールに基づいて。
これが、1人欠けることなく、
全てのムスリム達が寄付をしていれば、
ある程度の貧困は減る、とか何とか言われているのを耳にしますが。。。。。。
貧困は無くなりません。。。。。
ムスリムのみならず、キリスト教徒、ユダヤ教徒、なども、皆、同じように助け合っているはずなんですけど。。。。
貧困は無くならないです。。。。
それ以外の、国、組織、チャリティ、個人などでも寄付、助け合ってるはずですが、
貧困は無くなってないです。。。。
まとまりなく、長々と書いてしまいましたが、
そんな事を考えながら過ごしてます。
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