MIXIのコミュより転記してます。
ma sha' allah は、
ma = how
sha' = hope ← in sha' allah のsha'と同じです。
で、「いかに主が望みたもうたことか!」という感嘆文です。
素晴らしい出来事や事象を目撃した際に、
「なんと主は素晴らしい行いをしたもうか!」
と主の業を讃えて使います。
これは、イスラム世界各地の文化・風習により異なりますが、「邪視」の民間信仰(とはいえ、「邪視」そのものはコーランに言及がありますが)と関わっています。
この「邪視」信仰の強い地域では、
人、特に子どもを誉める際に、「かわいい」とか「美しい」とか言ってはならないとされ(←と言うことは、「邪視」を引き起こすから)、
代わりに、ma sha' allahと言って誉めることが習慣となっています。
(私が体験した例では、オマーンとか、あと、エジプトでも田舎のほうはそうだと思います。)
シリアでは、そんなことはありませんが、
それでもこの「邪視」を強く意識しているような人は、自分の子どもが誉められると、
誉めた人に対し、ma sha' allahと言ってくださいと返事する人はいます。
このような邪視信仰に対するイスラム法的な意見はきっと、いろいろな意見があると思います。
いろいろ調べた上で、ご自分で選択してください。
特に、この邪視信仰は、
イスラム教が成立する以前から地中海から西アジアにかけて広がっていた民間信仰で、
地中海地方からイランあたり(私はパキスタンやアフガンやインドのことは何も知りませんが)では、この邪視から身を守る手段として、人の視線をそらして、注意をそちらにひきつけることにより邪視を防ぐという習慣があり、そのための「お守り」が発達しました。
青い目(トルコ語で「ナザル・ボンジュ」と呼ばれています)、
尖ったものやきらきらしたもの(剣、ナイフ、馬の蹄鉄、鍵)や、
手のひらなどの形状のアクセサリーや、
ドアの上に掲げる飾りといったものは、
地中海文化であり、
東地中海や北アフリカといったアラビア語・トルコ語圏のみならず、
ギリシャ、イタリア、スペインにも存在します
(フランス南部については知りません)。
一方、東地中海や北アフリカを征服したムスリムたちは、
この風習をイスラム教に基づいて解釈して引継ぎ、「
ナイフ状のもの→アリーの剣」、「
手のひら→ファーティマの手」と呼ぶようになり、
さらには、アーヤト・ル・クルシーや、ma sha' allahと書かれたアクセサリー、
小さなコーランを入れる筒状のアクセサリーなどを発達させました。
私は、このような風習をただ単に、ローカルな風習・伝統として捉えた上で、
アリーの剣とアルハンブラ宮殿の鍵を身につけていますが、
これを批判するサラフ主義のムスリムも少なくありません。
長くなりましたが、本題に戻ります。
これに対して、逆に、悪い出来事や事象を目撃した際に使われるのが、
a3udh billah です。
これは、
a3udh billahi min asshaiTani arrajim の短縮です。
意味は、
「呪われたサタンから逃れて、主に救いを求めます。」 です。
「アッラーの望み給うままに」
うーん、確かに、al-Hamd lillahにそういうニュアンスもありますが、
どちらかというと、「アッラーの望み給うままに」の意味が明確なのは、
in sha' allahの方になりますね。
言い換えれば、
al-Hamd lillahは、すでに起きてしまった事象に対して使われるのですが、
in sha' allah はこれから起こる事象に対して使われる、
と区別すれば、より正確ですね。
どちらも、「良きも悪しきも主の御心のままに」という意味では同じです。
後まで読んでくれてありがと~~~♪
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